地域活性化の思いを形にしたミニシアター
高知で過ごす時間が長くなるにつれ、映画への向き合い方も変わってきたと安藤は話す。
「以前は自分がどういう作品を撮りたいかと考えてやってきました。それを1回終わらせて、ある意味、生まれ変わるのに時間はすごくかかったけど、映画を通じて子どもたちの未来のためにできることは何だろうか、どうしたら地域の活性化につながるかと考えるようになりました」
その思いを形にしたひとつが、'17年に1年半の期間限定で開設したミニシアター「キネマM」だ。
「街の中心に取り壊しまで2年放置されるビルがあるがやけど、なんかやらんかえ?」
そんな地元建設会社社長からの提案に、安藤も「じゃあ、映画館だ!」と返し、社長や地元の皆とわずか数か月の準備期間で開業にこぎつけたのだ。
「東京だったら、ちゃんと企画書を作って、利益が出るか計算して、初めてGOが出るけど、高知では全然違って、『とにかく走れ、とにかく進め!』と(笑)。だけど、『動機が大事やきね』とは言われました。土佐弁だと“成功しちゃろう、奪っちゃろう”じゃなくて、皆が幸せになれるかが大切なんだと。やっぱり、“私もうれしい、皆もうれしい”なんですね」
街から映画館が消えて寂しさを感じていた人は多く、たくさんの人が「キネマM」に来場してくれて1年半の営業を終了。その後、跡地での映画館復活が決まった。
安藤は新たに「キネマミュージアム」と名づけ、映画の上映、映画にまつわる展示のほか、カフェも併設し、映画を通じた交流の拠点作りを目指す。近日中にオープンする予定だ。
これだけ大きなプロジェクトを動かすには、多くの人の力が必要になる。高知出身の宇賀朋未さん(35)も、安藤の思いに共鳴した1人だ。宇賀さんは東京で映画関係の仕事をしていたが、安藤の活躍を書いた新聞記事を読み、雇ってもらえる確証もないままUターン。その行動力と熱意で、安藤が代表を務める会社「桃山商店」のスタッフとして働くことになった。
今では二人三脚で会社を支える宇賀さん。そんな宇賀さんから見た、安藤の仕事ぶりを教えてもらった。
「キネマMのときもそうですが、安藤に何かアイデアが湧いてきたときは、それはできると決まっているから自分に順番が回ってきたという考え方なんです。安藤の中には、こうなるというビジョンがあって、それに向けて必要があれば本当に助けてくれる人が現れるし、必要なご縁が巡ってきたりする。
普通とは順番が違うから、最初はびっくりしましたけど、結果的にいつもそういう流れになるので、逆に怖いものはなくなりました(笑)」
コロナ禍で講演の仕事などが激減し、会社の預金残高がゼロに近づいたときも、安藤が取った方法は常識とは逆だった。新たにスタッフを雇い入れ、宇賀さんの給料も上げたのだ。
その理由を聞くと、安藤はこともなげに言う。
「新たに成長していくきっかけを作らないとヤバいなと思って。誰か1人入ってくれば新しい風が吹くし、給料を上げれば馬力をさらに出そうと思うでしょう。逆に給料を減らすと我慢の世界になって、クリエイティビティーが減少するので」
しばらくして、本当に「キネマミュージアム」の計画が動き始めて、危機を脱したというからすごい。
その背景には高知の県民性もあるのではないかと、宇賀さんは推測する。
「高知には何かあっても死にゃあしない、“何とかなるき大丈夫”という気質があります。安藤にも、もともとそういう気質があったのか、移住して身についたのかはわかりませんが、よくそう言っていたし、私も心配はしなかったですね(笑)」