テレビ朝日に問い合わせたところ「完全否定」
藤子・F・不二雄氏が逝去した日の未明に放送されていることから、「本人があらかじめ放送をお願いしていた」という説も持ち上がっている。
F・不二雄氏の逝去は当時の新聞によると、23日の午前2時10分だったという。もともと肝臓が悪く、この8、9年前から入退院を繰り返しており、
倒れたのは20日午後8時ごろ。川崎市多摩区の自宅書斎で月刊誌「コロコロコミック」11月号に掲載される「のび太のねじ巻き都市冒険記」をかいていた時に突然意識を失った。家族が机にうつぶせになっている藤本さんを見つけ、救急車で慶応大病院に運んだ。救命措置が取られたが一度も意識が戻ることなく、23日午前2時10分、正子夫人、3人の娘さんにみとられ息を引き取った。(日刊スポーツ1996年9月24日記事より)
つまり、F・不二雄氏がこの世を去った時間のころに放送があったことになり、それが「本人が放送をお願いしていた」という説につながったのかもしれない。
YouTubeの「藤子・F・不二雄氏の追悼番組説」を説く動画には、「故人本人の希望で放送されたと思うと(放送局に)感謝の気持ちが湧くかも」や「理由(追悼番組説)を聞くまで怖い話だけど、理由を知ったら感動する」など、放送内容に対する印象が変わったという声も寄せられた。
さて、ではこのような放送は実際にあったのだろうか。アニメ『ドラえもん』の放送局であるテレビ朝日広報部に、「件の映像が放送された事実があるのか」と問い合わせたところ、「テレビ朝日でご指摘のような放送はしておりません。」という回答だった。
これほど多くの証言が出回ったことへの不思議はあるが、それだけ多くの人が関心を寄せる、ドラえもん、藤子・F・不二雄氏の影響力の大きさの証だろう。これで、『ドラえもん』にまつわる都市伝説の1つに終止符が打たれた。