2011年に行われた会見。(左から)市川中車、市川團子、二代目市川猿翁、四代目市川猿之助、四代目市川段四郎さん
2011年に行われた会見。(左から)市川中車、市川團子、二代目市川猿翁、四代目市川猿之助、四代目市川段四郎さん
【写真】猿之助の指導を受ける市川團子、セクシーなイケメン俳優になっていた

 猿之助の所属事務所でも、事態を把握できていないようで、5月20日付の公式サイトでは《警察ならびに病院にて対応をいただいているものと認識しております。この件に関する弊社所属俳優のコメントは差し控えさせていただきます》とのコメントにとどまっている。

「猿之助さんは歌舞伎の名門・澤瀉屋を背負う存在。頭領の猿翁さん、その弟の段四郎さんが第一線を退いてからは、実質的にトップの位置にいます。この5月は『明治座』の創業百五十周年記念公演と銘打たれた『市川猿之助奮闘歌舞伎公演』が開催中。搬送された18日の『昼の部』は休演となり、『夜の部』から代役を立ててしのぎました。猿之助さんは19日に退院しましたが、経緯によっては刑事事件に発展して身柄が拘束されることも考えられますから、舞台復帰の見通しはまったく立っていません」(梨園関係者、以下同)

 トップ不在の事態に澤瀉屋は存続の危機に陥っている。

実質的な“お家取り潰し”の可能性も

「6月には猿之助の従兄弟にあたる香川照之さんが歌舞伎役者・市川中車として、2022年8月に起こした性加害報道後、初となる主演を務める舞台が控えています。猿之助さんと共演することで復活の足がかりになるはずでしたが、このままでは難しいでしょう。香川さんの息子の團子くんは将来的に『猿之助』の名跡を継ぐことが期待されていますが、まだ19歳。猿之助さんの代わりとして一座の頭を務めるには若すぎます。なにより『猿之助』という名跡が“縁起が悪いもの”とされたら、長く培ってきた澤瀉屋の名に傷がつきます。澤瀉屋が実質的な“お家取り潰し”となるのもありえない話ではないでしょう」

 澤瀉屋が確立したのは明治時代。他家と比べて歴史が浅いぶん、積極的に新しいことに挑戦する傾向があり、その土壌が、伝統に縛られない“大胆な改革”を可能にした。

「派手でケレン味のある演出が持ち味だった澤瀉屋のお家芸を現・猿翁さんが『三代目・猿之助』だったころに発展させて、1986年に『スーパー歌舞伎』という派手な装置や演出を存分に活かしたスタイルを確立。2012年に跡を継いだ現・猿之助さんもその路線を継承。人気マンガの『ワンピース』をスーパー歌舞伎に仕立て、若いファンからも支持を集めていました」(前出・スポーツ紙記者)