誰の心の中にも「寒山・拾得」はいる

 横尾さんの描く寒山と拾得は、人間であることにとどまらず、無機物やロボットなど、それこそ身体が赴くままに描いた作品群である。中にはトイレットペーパーが描かれたものなどもあるが、どのようにイマジネーションを膨らませているのだろうか。

「寒山は詩を書くのが上手だとされていて、いつも巻物を持っている。拾得はいつも箒を持っている。巻物を現代文明風に考えると、僕にとってはトイレットペーパーにしたほうが肉体感は出ると思い、箒とトイレットペーパーを描いて、時には便器に座らせたり、箒を掃除機にしたり。寒山拾得の文明化です」

 男性二人をモチーフにしながらも、中には男女に見えるものや、複数の人が描かれ、時にはアーティスティックスイミングをするなど、その発想はまさに横尾ワールドの真骨頂だ。

「寒山拾得は『風狂』といって、究極の自由人であり、愚か者。現代社会では知識や知性を最優先しているけれど、2人はもうそれを超越した『悟り』にいってしまっている。誰の心の中にも寒山や拾得がいると思っているんですよ。ただ、それを発揮すればいいんです。

 僕は絵を描くことも『究極の自由』を獲得しないとできないと思っています。僕は彼らに自分の気持ちを共有させて、それをテーマにしている。でも描いているうちにもう寒山も拾得もへったくれもなくなっちゃうんですよね(笑)。プールで泳いでみたり、シルクハットをかぶってみたり。そうした彼らの自由さこそが、現代に必要なものじゃないかと思っています」

身体の「朦朧化」が様式を作っていく

 近年は幻想的な作風の絵も多い横尾さん。御年86の自身の作風を「朦朧体」と称しているという。

「最近の僕の絵はね、エッジがはっきりした輪郭線でかたどったような絵じゃなくて、境界線が曖昧で朦朧としている。横山大観に『朦朧体』っていう様式がありますが、そういうのじゃなくて、年取ると耳や目など、身体全体が朦朧化してくるってことです。

 例えば今、僕の右手は腱鞘炎だから、筆を持って長時間描くことはちょっと無理なんですよ。だから左手でも描くのですが、左手では思うような線が引けないんです。そんな身体的ハンディキャップが、今の僕の自然体。そう思えばそれを直そうと思わなくていいわけです」

 そのときそのときの「肉体」に逆らわないことが創作のスタイルになっていくという。

「専門用語でいうと『様式』ですが、身体が自然に様式を作ってくれる。自然にその年相応の肉体環境ができるから、それに従えばいい。高齢者たちは抵抗していますよね。新聞を見てもアンチエイジングとかの広告だらけですが、そんなことをする必要は全然ないと思う。だって全員が死ぬんだから! 何歳で死ぬか知らないけど、その人に与えられた宿命としての寿命があるわけですからね」