精神科に進む意志は揺るがなかった
医師国家試験に合格すると、研修医として2年間、実務を学ぶための初期研修がある。藤野さんは地元の愛知の病院で研修医として勤務した。
「これがなかなかハードで。忙しい病院で、1か月目で救急の当直をやらされるんです。まだわからないことが多いのに、上の先生たちは“何かあったら起こして”って言って全然診てくれない。絶望するほどしんどかった。2年間かけていろいろな科を経験しましたが、僕は貧血ぎみでエネルギーがないので、ずっと立ちっぱなしの外科はしんどいなとか、循環器もいいな、と思ったりしました」
それでも精神科に進むという思いに迷いはなかった。そもそも初期研修に選んだ病院は、精神科の関連病院があった。そこでしっかり精神科の研修ができると思って選んだのだ。
精神科の研修医時代にしっかり「予診」をとった経験は、今の診療にも生きているという。予診とは、精神科医の診察の前に、臨床心理士や公認心理師、研修医などが30分くらい患者の話を聞くもの。これによってその後の診療がスムーズになる。
「予診は研修医時代、半年くらい続けていました。先生の診察時間までにいろいろな患者さんから必要な情報を聞き出すこと、そして実際に先生の診察に立ち会ったことはいい経験になりました」
初期研修が終わると、大学病院に勤務。そのときの同期で、現在、藤野さんが副院長を務める七宝病院の院長でもある覚前遊さんは、当時から勉強家だった藤野さんに驚いたという。
「当時から見た目はあのとおり、今どきの人ですけど、仕事に対してはすごくまじめで、よく勉強していました。地頭で勝負しているように見えて、常にアップデートしているんです。無責任に知っていることだけでペラペラ話したりせずに、よく調べてから結論を出す。すごいなと思いますよ。でも、努力しているところをあまり見せないですね。そういうキャラクターで、それも魅力のひとつです」
病院では院長と副院長の関係だが、同期だけあって、プライベートでこんなエピソードも。
「最近、彼は引っ越しをしたんですけど、病院に忘れ物をしたから届けてほしいとか、粗大ゴミを下に運ぶのを手伝ってほしいとか頼んできます。そんなところも彼らしいですね(笑)」
医療刑務所で犯罪者と向き合う
実は、藤野さんはここ数年、週1回、医療刑務所で診察をしている。医療刑務所とは、全国にある一般的な刑務所のうち、専門的な医療や看護の提供が必要な受刑者が収容される刑務所のことをいう。
今、精神科医として通常勤務している病院は週5日勤務だが、週2日ある貴重なお休みのうちの1日を、医療刑務所の診察に充てているのだ。
「薬物中毒後遺症の人もいますし、言い方は難しいですが、一般的な病院に多く来る発達障害とは一線を画すような、かなり個性の色が濃い、外の世界で生きるには困難が多いだろうなと感じる人もたくさん診ています。そういった方の中には、上手にストレス処理をすることができない人も多くいます。刑務所にいるストレスに耐えきれずに自傷して暴れたり、手が出てしまったりする。あるいは拘禁反応といって、閉じ込められるストレスが影響し、的外れな応答をしたり、会話が成立しなくなったりします」
医療刑務所で働いている理由は、高校時代から抱いていた「なぜ人は罪を犯すのか」という問いの答えを探したいからでもあるし、将来的に精神鑑定をやってみたいという思いもあるからだという。
「医療刑務所に入る人は、精神鑑定の結果、責任能力なしとはならなかった人です。でも実際の鑑定は非常に難しいと感じます。正しく鑑定するには、できるだけたくさんの人たちを診ることだと思っています」
とはいえ、並大抵の覚悟では医療刑務所では働けない。なにしろ、さまざまな罪を犯した人と対面で診察をするのだ。単純に、怖くないのだろうか。
「基本的に刑務官がついていますし、看護師さんもいます。患者さんが座る椅子にはチェーンがついていて、投げられないようにもなっていますし、血圧計や体重計は、測り終えたら部屋から持って出ます。それでも暴れる人はいますけど、そういう人には多めに刑務官がついていますし、盾を用意してくれたりもして、比較的安全です。少なくとも僕は今までに、危険な目にあったことはありません」