覚悟のいる作業だったが……。
「命を奪った後、おいしく食べるために処理をすると、日本のスーパーで売っている鶏肉の状態になったんですよ。 こういう工程を経てスーパーに並ぶということを改めて知りましたし、食育としては非常に大事な気がしましたね」
その場には、2人の子どもたちも同席。
「かなり驚いてましたよ。気づいたら、お父さんが鶏の返り血を浴びて血まみれだったので。でも、娘たちにはこうした機会に、ひとつひとつの物事が当たり前じゃないということを学んでほしい」
現地で「うどん屋」をプロデュース
現在は音楽以外の活動もしているそう。
「セブ島にはこれまで“日本人街”がなかったので、うどん屋やしゃぶしゃぶ、カラオケバーなどを集めた『NEO TOKYO』という日本食のレストラン街をプロデュースし、オープンしました。現地のみなさんに日本の食文化を知ってもらいたいし、日本から観光や留学で来た人の癒しの場にもしたいと思って」
立ち上げのきっかけとなったのは“うどん”だった。
「セブ島にうどん屋さんがないことが意外とストレスで。たまに、日本のだしの味が恋しくなって……。なので、自分でプロデュースして、ようやく食べられるようになりました(笑)」
“セブ島ライフ”での、今後の目標は?
「日本からの移住者って日本のエンタメに飢えていたりもするので、セブ島でも楽しめるようにしたいですね。コロナ前は、セブ島でワンマンライブもやりましたが、日本とフィリピンの友好や交流を深めるようなことができたらいいなと思います。セブヨロという会社で留学エージェントもやっていますし、こういう活動や今の暮らしが、本当に楽しい。とにかく毎日、ハッピーライフです」