目次
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ー 向井亜紀、理科教師を目指すも大学を中退 ー 代理母出産をきっかけに、家族法について学ぶ
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ー 子どもの米国留学に、刺激を受け、大学生に
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ー 向井亜紀の「今の目標」

「今年の4月に母校である日本女子大学の通信教育課程の2年生に編入。毎日のようにレポートや試験に追われて、想像していたより大変です」

 そう楽しそうに話すのはタレントの向井亜紀さん(58)。向井さんは埼玉の県立高校を卒業後、日本女子大学へ進学、生物農芸学を専攻していた。

向井亜紀、理科教師を目指すも大学を中退

「宮沢賢治に憧れて、日照りや冷夏といった気候に左右されることなく実る稲について研究したかったんです。将来は理科教師になるつもりで。当時は地元大宮のラーメン屋さんでアルバイトする、ごく普通の18歳でした」

 しかし、在学中に文化放送の『ミスDJリクエストパレード』にて女子大生DJとしてデビューしたことで状況は一変する。折しも世間は女子大生ブームで、一躍、人気者となった向井さんはテレビ番組のリポーターやドラマ出演など活動の幅を広げていく。

「多くの人に自分なりの思いを伝える仕事がどんどん面白くなり、『こちらの仕事のほうが向いているのかも』と考えるように。悩んだ末に、3年生の途中で中退しました」

代理母出産をきっかけに、家族法について学ぶ

 1993年から旅番組『朝だ!生です旅サラダ』のレギュラーを務め、29歳でプロレスラーの高田延彦氏と結婚。35歳で結婚7年目に妊娠が判明するも、喜びをかみしめられたのはつかの間だった。

「子宮頸部にクラスVの浸潤がんがあることがわかったんです。主治医に何度も相談して子宮を温存するレーザー手術を2度、受けました」

 手術中の迅速検査でリンパ節転移の可能性があるとわかり、3度目の開腹手術で子宮と周囲のリンパ節を摘出。

「16週まで育ってくれていた命を摘み取ったことで、心身共にボロボロになりました。精神的に立ち直れなくて。でも、お腹に赤ちゃんがきてくれた意味を考え続けることは、私の大切な宿題です」

 その後、向井さんは「夫の遺伝子を残したい」という強い信念のもと、2002年から代理母出産に挑み始めた。3度目の挑戦で妊娠に成功。当時31歳のアメリカ人女性が代理母となり、アメリカで双子の男児を出産した。

「アメリカでは私が母親とされているのに、日本では代理母が母親とされる。そのため、子どもたちとは特別養子縁組をして親子になりました。こうした経験から家族法など家族を取り巻く法律にも興味を持っています。図書館に行ったり、識者に教えていただいたりなど、少しずつ勉強を続けています」