時にハッとさせられる投稿も
楽しい投稿の中に、時にハッとさせられるものもある。前述した年金以外にも、健康診断や歯のメンテナンスを定期的に受け、さらには防災グッズなどを整えたり……。やるべきことを彼女はしっかり実行に移している。
それにしても、これだけ私生活をさらけ出すことに、ためらいはないのだろうか?
「面識のない人に読まれるのって全然平気なんです。絶対に読まれたくないのは、パートなどの勤務先の同僚ですね。このバッグをメルカリで買ったとかは知られたくないんです」
それもあってブログでは、特定されるような顔写真を掲載しないようにしている。
さてブログを始めてひと月最大23本の記事をアップするなどして読者を増やしていると、取材依頼が舞い込むようになる。ブログを始めた翌年の'17年にはネットニュースから。'18年には、宝島社から『素敵なあの人のシングルライフ』というムックの取材依頼。
「印刷物に出るのは初めての経験だったのでワクワクして書店に行ったんですが、目次を見てびっくり。作家の曽野綾子さん、料理研究家の松田美智子さんといった有名人に交じって、“パート ショコラさん”と紹介されていたので(笑)。そのとおりなんだけど“パート”という肩書が妙に恥ずかしかったですね」
しかし知名度が上がることで、厄介事に巻き込まれる場面もあった。ブログや著書には自分の住まいが特定されるようなことは書いていないけれども、掲載した写真や文章に、近所の人にはわかるものがあったのだろう。
「ネット上に、自宅を特定されるような内容が書かれてしまったり、ややストーキング的なニュアンスもあったりしたので、さすがにそれは正式なルートを通じて削除してもらいました。書き込みは消えても怖いし、落ち込みましたね。もうブログは書けないかなっていうところまで追い込まれて、しばらく休むことにしたんです」
'22年4月22日のことだ。突然の休筆宣言で、寂しがったのはフォロワー。
《夜寝る前にベッドの中で読むのが楽しみでした》《続けてください》という書き込みが毎日のようにあった。
「最初はあまり読者のことを考えないままブログを始めましたが、書き込まれたコメントを読みながら、あらためて、私のブログはこれだけの人に楽しんでいただいていたんだということがわかりました。誹謗中傷みたいなことをしているのはほんの一握り。そんな人のために休んだり、やめようとするのは負けだと思って」
約20日間の休みを経て、《読者の皆様お久しぶりです^^》という書き出しでリスタートした。
“気遣いの人”でも、わが道を行く生き方
ショコラさんが生まれたのは1956年2月、神奈川県横須賀市である。長女で、下に妹が1人、弟が2人。父親は大手鉄鋼メーカーの関連企業に勤務していた。妹の康子さん(仮名・63)は、
「母はキムタクや韓流スターが大好きなミーハーなんですけど、父はお酒が弱くて、ギャンブルもやらない、まじめで優しい人でしたね。怒るようなことはあまりなくて、母が“叱ってください”と頼んでも、“まあいいじゃないか”というのが父の口癖でした」
ショコラさんもお父さんに似て優しい。妹と一緒に旅行すると、眺めのいい窓側を譲ってくれるのだという。
高校の同級生・菅原ひさこさん(仮名)に聞くと、こんなエピソードがあるという。
「50代前半、仲良し4人組でハワイを旅行したことがあったんです。私たちはダイヤモンドヘッドに行く予定なのに、1人がショッピングセンターでお土産を買いたいと言い出して。彼女が不安そうだったので、ショコラさんが付き添ってあげていましたね。本当は私たちと行きたかったらしいんだけど」
10代のショコラさんは、恋愛やファッションに興味のある、ごく普通の女の子だった。菅原さんによると、「好きな先輩がいるという理由で少しの間、写真部に入っていた」という。また妹の康子さんによれば、グループサウンズ全盛期に、姉妹でザ・タイガースにハマったそうだ。ただ、康子さんとは推しのメンバーが異なり、
「私は王道のジュリー(沢田研二)だったんですが、姉はドラムのピー(瞳みのる)に声援を送っていました」(康子さん)
高校のもう1人の友人・野中由紀さん(仮名)もこう話す。
「みんながある方向に行くと私も……と同調しがちですけど、彼女は周囲の意見に惑わされなかったです。物怖じせず自分の意見をちゃんと示せる、心の強い人でしたね」
ファッションには目がなかった。欲しい洋服があるとバイトして買うだけでなく、高校時代は被服部に入部し、ジャンパースカートやワンピースを自作することもあった。
将来はスタイリストかデパートなどのショーウインドーを飾るデコレーターになるのが夢だった。が、いざ就職となると現実的になり、都内の不動産会社へ。当時は今のショコラさんからは想像がつかないほどの浪費家だった。
「実家に3万円を入れる以外は、クレジットカードをいっぱい使って、洋服やバッグなどを買うことがありました。貯金の意識なんてまったくなかったですね」