“通い母”をしてつくり上げた「母子タイム」
「家にはもういられないから、出ていこうと思うんだけど」
長男の久志さん(仮名・42)は驚いたが、当時夫婦ゲンカが多くなり、うまくいっていないことは気づいていたので、やっぱりとも思った。ただ、「一緒に家を出るか」と聞かれたときは少し考えて、
「家に残る」
と答えた。久志さんは、
「家を出るのがちょっと怖かったというか、環境が変わるのがイヤだったんです」
次男も同じ意見だった。
ショコラさんは、息子たちが冷静に受け入れてくれたことがうれしかった。表情などから子どもとの信頼関係は揺らいでいないことが感じ取れた。もしかしたら子どもとの仲をつないでくれたのは、ごはんかな、と思った。
「中学生にもなると、家のごはんを食べない子がいる中で、うちの子はいつも一緒に食事をしました。高校生になってバイクで外に遊びに行っても、夕食の時間にはちゃんと帰宅して一緒に食べていた。食事を通して私たちの信頼関係が育まれたのかもしれません」
ショコラさんは考えた。
「息子たちには栄養バランスのよい手作りのものを食べてほしいし、精神的にもまだ子どもだから寂しい思いをさせたくない」
そこで婚家の近所にアパートを借りることにした。ママ友の立野さんに相談すると、友人の不動産会社経由で、徒歩15分の場所に物件を見つけてくれた。
愛車のシビックに、日用品や洋服、家具などを積めるだけ積んで家を出た。'99年のことである。そこから3年間の「通い母」生活が始まった。
仕事を終えて買い物をし、婚家に直行して夕方6時~6時半ごろに到着。休憩なしで即料理に取りかかる。次男は早く食べたいから積極的に手伝ってくれた。ようやく座るのがごはんを食べるときだ。
食べながら、今日あったことを語り合う。こんなことがあったんだよ、こんなことも……と言っては笑わせてくれる。家を出る前とあまり変わらない光景である。
食事が終わったら、次の日のお弁当作り。朝ごはん用にパンやコーンフレークなどを買うこともあったが、食べるかどうかは自由。合間に洗濯や掃除をして家事が一段落したら、子どもたちと一緒にテレビを見たり話したりして過ごす。アパートへ帰るのはいつも11時過ぎだった。久志さんが当時を振り返る。
「母が家を出る前後で違ったのは、同じ屋根の下で寝ているかどうかぐらいでしたね。学校の三者面談などには母が来てくれていましたから、いなくなっちゃった感じはほとんどなかったです」
「母子タイム」に、夫が顔を出すことはなかった。ショコラさんが当時を振り返る。
「仕事で疲れているのに、よくやったなと思うけれど、ごはんを待っている子どものためという張り合いがあったからでしょうね。子どもが私を支えていたのだと思います」