黒人と韓国人がルーツというアイデンティティーへの差別
シンシア自身、親に突き放され、誰にも頼れず育ってきた。あんな思いはさせたくないと、どんなときも娘を全力で守った。
「娘が通うアメリカンスクールは恒例のダンスパーティーがあり、私たち親も参加します。娘が中学1年のとき、チークダンスタイムで『私の好きな子に女の子がべたっとくっついて踊ってる。どうしよう!』と泣き顔で訴えてきたことがありました。
私が『彼女をトイレに呼んで“あれは私の彼氏だ!”と釘を刺せ』と言うと、『ケンカになったらどうするの?』と弱腰です。『私が責任取るから!』と背中を押しても、娘は結局見てるだけ。
娘は争い事が苦手な性格で、そういうときどうしたらいいかわからないようです。今になって『ママが言ってたとおり、あのとき一度ぶつかってみれば良かった。戦わなければいけないときって、きっとある』と言っています」
マイノリティーであることの生きにくさ。それは母子共通のようで違いがあった。それでも娘に何かあれば、身をもって防波堤になった。
「娘は黒人と韓国人のミックスという自分のアイデンティティーが嫌だったようです。
『ママは朝鮮学校に行ってたからマイノリティーとはいえマジョリティーだよね。でも私はものすごいマイノリティーだから』と言います。アメリカンスクールの生徒は大半がミックスだけれど、黒人と韓国人のミックスは珍しい。きっと疎外感があったのでしょう。差別も感じていたと思います。実際そういう場面に私も何度か遭遇しています。
中学生の娘を連れてスポーツクラブに行ったときのこと。娘を見て『最近変な外人多いわね」と顔を顰める人がいました。
私が『ちょっと、あれうちの子なんだけど、何か文句ある?』と詰め寄ると、『すみませんでした!』と謝ってはいたけれど……。ただ、今考えると、これもいいことだったのかわからない。
私があまりにもいろいろな面で守りすぎた気がします」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>