修業時代に出会い、お酒好きで意気投合
江理香さんとの出会いは正月屋吉兆で働いていた修業時代。沖縄から上京し、ホールで働いていた江理香さんと仕事帰りに一緒の電車になることもあり、そのうち世間話をするように。聞いてみると同じ年、しかもお酒好きという共通点も見つかる。
「今度飲みに行こうよ」
誘いあうようになり、4年ほど付き合って結婚。3人の子宝に恵まれた。笠原さんが父親の跡を継いだ焼き鳥店『とり将』も大繁盛店となり、その後開店した恵比寿の日本料理店『賛否両論』も客足が途絶えなかった。
多忙な日々を送っていたある日、江理香さんが自身の身体の異変に気づく。それまで病気ひとつしたことがない健康体。忙しいと自分のことを後回しにするのは誰でもよくあることで、健康診断などもまともに受けていなかった。
「ちょっと気になることがあるから病院行こうかな……」と不安げに打ち明ける江理香さんに対し、詳しくは聞かなかったが「絶対に行ったほうがいい」と笠原さんも強くすすめたという。
検査を受けた夫人が持ち帰った診断書には見慣れない文字が並んでいた。2人ともまるで実感が湧かず、
「もしかして、がん……?」
と顔を見合わせた。子宮体がんだった。ドラマなどで描かれる場面と異なり、実際の告知シーンは意外なほどあっけない。主治医からがんの告知と同時に治療方針について話があった。
「そっか……手術で取れるんだ。早く見つかってよかった」
と2人でほっと胸をなでおろした。全摘手術、抗がん剤治療も気丈に乗り越え、江理香さんはすっかり回復したように見えた。
「かみさんの実家がある沖縄にも旅行に行きました。みんなで一緒にプールで泳いで、大好きなビールも飲んで、もうすっかりよくなったと家族全員が思っていました」
再発を告げられたのはそんな矢先の出来事だった。定期検診で病変が見つかり、その後、入退院を繰り返した。
笠原さんは時間をやりくりしては通院に付き添ったり、入院中のお見舞いに行った。“これなら食べられそう”と連絡が入れば作って江理香さんに持っていったという。
「長女は中学生だったけれど下2人は小学生。そんな子どもには酷だろうと闘病中も病名などは伏せていました」
仕事を辞めるという選択肢が頭をよぎるときもあったが
「どれだけの人に迷惑をかけるんだろうと思うと、無責任に辞めるだなんてとても言えませんでした」
しかも当時、名古屋に支店を初出店する話も進んでいた。これまで事業拡大の話には反対していた江理香さんが唯一「挑戦してみたら?」と、背中を押してくれた話だった。
「お店がメディアで取り上げられるようになってから、本当にいろんな仕事の依頼が来たけれど、かみさんはいつも決まって反対していたんです。“今あるお店、お客様を大切にするのが先決”って」
そして“あなたはすぐに人を信用してしまうからそんなんじゃ騙されるよ”と苦言を呈した。江理香さんが応援してくれた支店の話を中途半端に投げ出すことはできないとなんとか踏みとどまった。