学問としての仏教と出家はまったく違う

 その中の1人、横山文由さんは'15年にプロジェクトに参加して得度した。現在は住職のいない長野県飯山市の正受庵で留守番をする、いわゆる看坊職に就いている。

 会社員時代は化学メーカーに40年勤めていた横山さんは、在職中から仏教に興味があったと話す。

「'13年に定年退職をしまして、私は地元が東京の町田市なのですが、『東京国際仏教塾』という仏教の基礎を学べる塾へも通いました」(横山さん、以下同)

 このときはまだ、出家までは考えてはいなかった。

「学問としての仏教を求めるのなら、出家する必要はないんです。初めは学問としての仏教を学びたい、ということがいちばんでした。でも学んでいくうちに、自分の中で何か違うなと思い始めまして。

 お寺に入るかどうかは別として、仏教を極めるのなら出家しなくてはダメだなと思いまして。そんなとき、新聞の記事で妙心寺の『第二の人生プロジェクト』を知ったんです」

 出家し修行していくうちに、頭でわかることと実際に体験することは違うのだ、と意識が変わってきたという横山さん。

「実際に修行することによって、座学で学んだことをちゃんと理解し、体得できるのだとわかってきたんです」

 このことを痛感したのが、同じ時期にプロジェクトに参加した人が、得度して2か月で辞めてしまったのを目の当たりにしたことだった。

「その人は私よりも勉強家で、仏教について、ものすごく学んでいました。得度して修行に入れば、もっと座禅ができると思っていたらしいのですが、実際はそんなに座禅の時間はないんです。食事や掃除、起きて寝るまでのお寺の生活、すべてが修行なんです。

 彼にとっては修行=座禅だったのでしょう。こんな生活では意味がないと、せっかく得度したのに辞めてしまいました」

 仏教に対しての“思い”は人それぞれ。前出の久司さんは、甘い考えで出家について問い合わせてくる人もいる、とこう話す。