今でこそ番宣で俳優やタレントがゲスト出演することも多いが、'76年の番組開始時は黒柳徹子が興味を持った、まだそれほど世に知られていない人を呼ぶという趣旨があり、そこで見いだされたのがタモリだった。
『徹子の部屋』は昭和の最後の砦
'77年の初出演時は無名も無名、『徹子の部屋』が2度目のテレビ出演だったそう。以後'13年まで毎年、年内最後のゲストとして招かれ、そこで芸を披露するというのが番組の恒例行事となった('21年からまた復活している)。
また、長寿番組だけに主たる著名人のほとんどは『徹子の部屋』の出演経験があり、日本の芸能史のアーカイブ的な役割も担っている。
「有名な方が亡くなると追悼企画が組まれますよね。最近だと谷村新司さん。しかも、そういう方は何度も出てらっしゃるので、この番組だけで歴史がたどれるんです。『徹子の部屋』だから話すというゲストも多くて、実はこういう病を患っていますとかカミングアウトする方も多い。
それも全部、徹子さんへの信頼からだと思います。そういう意味では、いま出てほしいのは藤島ジュリー景子さんかな。徹子さんはジャニーズとの縁も深いですし、ぜひ(笑)」
『徹子の部屋』は昭和の最後の砦なのだとカトリーヌさんは語る。
「令和って、絶対的だと思っていたものが揺らいでいる時代じゃないですか。ジャニーズが崩壊し、歌舞伎や宝塚といった伝統的な芸能にハラスメントの問題が起こる。つまり、昭和のやり方はもう通用しないということなんです。
そんな昭和の芸能の良き面を体現しているのが黒柳徹子さんだと私は思います。なので『徹子の部屋』はぜひ、100歳まで続けていただいて、その間にAIに徹子さんのすべてを学ばせて、テレ朝に置かれているロボ徹子にバトンタッチするみたいな。そんな夢を見てしまいますね(笑)
取材・文/蒔田陽平
カトリーヌあやこ 漫画家&テレビウォッチャー。著書にフィギュアスケートルポ漫画『フィギュアおばかさん』(新書館)など