障がい者のいじめに加担した過去も

 障がい者のために奔走する今の夏目さんからは意外なのだが、実は過去、いじめに加担したことがある。小学2年生のときクラスにダウン症の男児がいて、帰り道に犬の糞を踏ませたり、からかったりしていたそうだ。

「その子が給食をこぼしたり歩き回ったりすると先生がすごく叱っていたんですね。ダメダメって。だから僕らも彼はダメな子なんだと思って、みんなでいじめていた。それは強烈に後悔しています」

高校ではニュージーランドに留学。英語は今は苦手
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 中学校で野球部に入部。厳しい部活だったので、高校では楽な部活にしようとテニス部を選んだ。

「でも、高校で一番厳しい部活だった(笑)。しごきも体験したけど、やめませんでしたね。そこは負けず嫌いが発動したんじゃないかな」

 大学では都市計画を専攻。バリアフリーに興味を持ち、3年生のとき土木工学に転部。大学卒業後は豊橋の信用金庫に就職した。父親の後を継ごうと、地域密着の仕事を選んだはずだったが、1年もたたずに自ら退職─。

合理的な理由もなく女性行員を怒鳴りつける課長がいて、僕が言い返したんですよ。そうしたら支店長に呼ばれて、上司に向かってなんて口のきき方だと言われたんで、支店長とケンカしちゃって(笑)。父親のこともあったし、理不尽を押しつけられるとすぐ反発しちゃうんですよ。

 それで行き場をなくして大学院に行ったんです。なんか一貫性がなくて、ハチャメチャですね(笑)

 土木コンサルタント会社と一緒に駅のバリアフリー化の研究を進めたが、そこで直面したのは、また別な現実。夏目さんが誰でも使いやすい場所にエレベーターを設置しようと提案すると「コストを優先しろ、“仕方ない”を覚えろ」と怒られた。せめて障がい者目線に立とうと施設での聞き取りを行ったところ、障がい者の多くは、自宅と福祉関連の作業所の往復だけで生活しており、バリアフリーのターミナル駅を利用する機会がほとんどないという事実を知る……。

障がい者雇用の厳しさと悔しいひと言

久遠チョコレート代表・夏目浩次(46)撮影/齋藤周造
久遠チョコレート代表・夏目浩次(46)撮影/齋藤周造

 モヤモヤした思いを抱えているときに読んだのが『小倉昌男の福祉革命―障害者「月給1万円」からの脱出』という本だ。小倉さんはヤマト運輸の創業者で、引退後に経営の力で障がい者の現状を変えようと、「スワンベーカリー」というパン屋を立ち上げた経緯が書かれている。

 夏目さんが地元の福祉施設を回ってみると月給1万円はいいほうで、3千~4千円で働く重度の障がい者もいた。

「衝撃でした。障がいという属性がついた途端に職業の選択肢がなくなって、月給が1万円でも仕方ないなんて、単純におかしいですよね」

 夏目さんは大学院を中退して自分で起業しようと、小倉さんに「自分もスワンベーカリーをやりたい」と手紙を何通も送った。

 半年後、熱意にほだされたのか、面会が実現する。名刺交換の直前、小倉さんに「君の母体は何だ?」と聞かれた。

「僕1人です」

 夏目さんがそう答えると、小倉さんは手にした自分の名刺をサッとしまう。

「帰りなさい」

 そう命じられ、面会はわずか数秒で終わった。

「瞬間、すんごい頭が真っ白になりましたよ。でも、それで、絶対やってやるとスイッチが入った。だから小倉さんには感謝してます。商売はそんな甘いもんじゃないって、教えてくれたんだと思うし、もし、あのとき中途半端にやさしい言葉をかけられていたら、途中でやめてたかもしれない。その後、借金まみれになっていくんですけど、絶対やってやると思い続けられたのは、あの『帰りなさい』のおかげじゃないかな」

 すぐに事業計画書を作成。会社四季報に載っている製パン会社や地元の小さなパン屋を回って協力をお願いしたが、苦戦が続いた。

「何でおまえに技術を教えないかんの?」

 冷たくあしらわれ、目の前で計画書を捨てられたことも。

「ここがダメなら、もうあきらめようか」

 約20社から断られ、最後の望みをかけて「Pasco」で知られる敷島製パンの工場を訪ねると突然道が開ける。課長が話を聞いてくれ、なんと使っていない器具や備品を期限付きで貸与。OBを派遣して使い方も教えてくれることになったのだ。