旧友も不安視する美智子さまの体調
末盛さんも美智子さまのご体調を心配しているといい、
「私も83歳になり、時には補聴器をつけているのですが、美智子さまも補聴器を使っていらっしゃるようで、日常生活を送るだけでも大変でいらっしゃると思います。私が新著を出版する際、美智子さまにお送りしたいと思うのですが、“お読みになるのが大変なのでは”と逡巡しています。
このお正月、能登半島地震の被災者を大変心配していらっしゃるだろうと思ったので、そのことも兼ねてお手紙を書きました。悲しみのさなかで、お気を使わせてしまうと申し訳ないので、“お返事はお気になさらないように”とひと言添えてお送りしました」
元日に発生した能登半島地震も、美智子さまがお出ましにならない理由の一つなのかもしれない。
「被災状況にひどく心を痛められたようで、被災者を慮って外出を控えていらっしゃるそうです。平成に入った直後の'91年、長崎県の雲仙普賢岳で噴火が発生。上皇ご夫妻は約1か月後に被災地を訪れ、避難所や仮設住宅を回って被災者を励まされました。靴を脱いで膝をつき、被災者と同じ目線で言葉を交わされる“平成流”の始まりともいわれています。
ほかにも、国内で起こった自然災害の被災地にはたびたび訪問され、心を砕かれています。今回も能登への思いは募っていると思いますが、天皇、皇后両陛下が被災地を訪れることが先だとお考えなのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)