番組のすごさも影響力もわからなかった

ロケで訪れた岩手県花巻市の観光名所「イギリス海岸」にて
ロケで訪れた岩手県花巻市の観光名所「イギリス海岸」にて
【写真】16歳でアイドル歌手としてデビューした島崎和歌子

「紳助さんのアシスタントをやりたい人はいっぱいいたと思います。だから『抜擢されてうれしいでしょ?』と言われることも多かったのですが、まだ18歳だったので、その番組のすごさも影響力もわからなかったんです。俳優さんや歌手の方々をはじめ、テレビをつくってきた200人もの錚々たるメンバーがそろう番組です。怖さを知らないからこそ挑戦できたのかもしれません。今思えば若さってすごいですよね……」

 それが現在も続く名物番組『オールスター感謝祭』だ。TBSの人気番組・新番組に出演する大人数の芸能人が参加するクイズ番組で、通常、春と秋の年に2回生放送されている。紳助さんが引退した後は、紳助さんの後輩でもある今田耕司とともに総合司会を務め、島崎は初回から32年間、番組唯一の皆勤出演者だ。

 初回の放送前には週に何度もTBSに通い、ベテランのアナウンサーから発声やイントネーションの指導を受け、リハーサルを重ねた。

「最初はアシスタントというポジションでしたが、20代半ばくらいから『司会』と認められるようになったんです。努力していれば周りはちゃんと見ていてくれるんだとわかってうれしかったですね」

 仕事に対して厳しいイメージのある紳助さんだが、島崎は一度も怒られたことがないという。

「だからこそ萎縮せずにやってこれたのだと思います。最初はうまくできなくても、見守ってくださり、よく使ってくれたなあと感謝しています。どんなことでもコツコツと積み上げていくのが大事というのが私のモットーですね」

30年以上続けてきた司会の座は「譲らない」

もはやライフワークである『オールスター感謝祭』(TBS系)のひとコマ
もはやライフワークである『オールスター感謝祭』(TBS系)のひとコマ

 今では大ベテランとなり、スタッフ側の立場で発言することも多い。

「私は『感謝祭』に育ててもらったので、今度は私がスタッフを育てる番。細かいことも指導して、うるさいと思われているかもしれませんが、大事なことは伝えていかなければいけません。30年以上も続けていると、フロアでずっと怒られていたスタッフがプロデューサーになって戻ってきたことも。長く番組をやらせてもらっていると、人が成長していくところを見させてもらう喜びもあります」

『オールスター感謝祭』は大人数の出演で、生放送ゆえにハプニングも多く、ヒヤヒヤすることも多い。

「何回もリハーサルをして、出演者の名前もしっかり頭に入れて臨むのですが、圧倒的なオーラにやられて名前が出てこない芸能人の方もいて……。加齢の影響もあるのかもしれない(笑)。あのときはゾッとしましたね。ほかにもクイズの前に正解を言ってしまったり……。でも各チームがみんなおしゃべりに夢中で、誰も私の話を聞いてなくて助かりました(笑)。機材トラブルもありましたし、コンピュータを信用しすぎてはいけないと肝に銘じています」

 大役の『感謝祭』の司会だが、「このポジションを誰かに譲るつもりはない」と島崎はきっぱりと言う。自分が思い描いていたアイドルにはなれなかったという悔しさも、頑張り続ける原動力になっている。

「『感謝祭』の司会は、私ひとりの力ではなく、スタッフみんなで一生懸命頑張って築いてきたポジション。もう年だから若い人にバトンタッチするなんて冗談じゃありません。この席は譲りませんよ。だって続けることのほうが大変で、譲るほうが簡単でしょ? 席を譲るって一見カッコよく聞こえるけど、私はイヤですね。いくつになっても番組を続けている大先輩たちを見てきたし、これからも見続けたい。倒れるまでこの席は守り続けます」

 長年、番組で島崎を見てきた放送作家でコラムニストの山田美保子さんは、『感謝祭』でのMCぶりに舌を巻く。

「もうお見事のひと言に尽きます。紳助さんと組んでいたころから堂々としていたのですが、今田耕司さんと組むようになってからは完全に和歌ちゃんがリードしています。イケメン俳優にあえて歓声をあげたり、あれだけの人数がいるのに時間内に収めたり……と、スキルがものすごい!」

 2023年、バラエティー番組『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)で『オールスター感謝祭』の裏側特集が放送されたが、それを見てますます島崎のことを尊敬するようになったという。

「事前の打ち合わせやCM中などを使って、和歌ちゃんが出演者や段取りなどのすべてを見ていることを知りました。『プレイングマネージャー』という言葉がありますが、和歌ちゃんの場合は『プレイングディレクター』『プレイングプロデューサー』かと。テレビに出るようになって私が目標としているのが“島崎和歌子さん”という存在で、今では『師匠』と呼んでいます」(山田さん)