大学入試は途中退出、予備校も2日で退学
“ちょっと付き合いづらいけど、成績抜群の西脇クン”はその後、有数の進学校、北海道岩見沢東高校に進学する。
当時抱いていた将来の夢は、自衛隊機のパイロットか建築家だ。
とはいえ航空自衛隊に入隊しても地上勤務になる可能性はあるし、建築家になったとしても、建てたい建物が自由に建てられるものでもない。
「ところが医者だったら、若い時分から自分で治療方針を決めることができる。だったら医者になろうって」
それなのに願書を出したのはなぜか北海道大学の理一(工学部)。それも親には翌年、医学部を再受験すると宣言、許可を得て受験した。
「(北大理一は)ちゃんと受ければ受かったと思います。でも受かってしまったら、もう受験勉強をする気がなくなっちゃう。だから試験中に会場を出て、一緒に入試をやめた4~5人とススキノに飲みに行っちゃった(笑)」
入試を辞退後、30万円を支払って入学した札幌予備校医学部進学コースもまた、わずか1日登校しただけで行かなくなってしまう。
「登校1日目、現代国語を教えていた名物おじいちゃん先生がいて、“皆さん、(浪人してしまって)残念でした。でも1年かけて頑張ればきっと大丈夫! 1年間長生きすればいいだけです”。
それを聞いていたら“あ、そのとおりだ”と気が楽になって。それで2日目から行かなくなっちゃった」
それ以降は、札幌に確保した下宿で仲間と遊んでばかりで、部屋は悪友たちがたむろするアジトのような状態に。生活費は、道路建設の現場で働いて調達した。
「朝4時に弁当作って6時までに事務所に行って現場へ行って。帰ってきたらお風呂に入ってホルモンを食って寝る。そんな毎日になっちゃった」
だがここでも死に神の鎌に触れることになる。地下鉄工事現場でバイト中の北大生と作業員が亡くなった。トルエン中毒事故が発生したのだ。
「僕が働いていたのも、ちょうどその現場だったんです。トルエン中毒が起きたときには作業が終わって帰ってきていた。もしもずっといたとしたら、僕も死んでた」
10月、そんな生活からの転機がやってきた。
地下鉄の工事現場で働いていると、共に医学部を目指していた友人の母親が通りかかった。友人とは子どものころからの付き合い。だからその母親も自分の顔をよく知っている。それなのに、一向に気がつかない。
「“俺、ヤバい方向に進んでいるな”と気がついて。それで親に電話して“下宿を出たいからアパート借りて!”。そうしたら即、借りてくれて、その翌日には仲間に何も告げずに引っ越した。知らせたら酒盛りが始まっちゃって、勉強ができなくなるから」
これが10月だから、共通一次試験まで残された時間はわずか3か月。だが、以降はアスペルガーの本領発揮。すさまじいばかりの集中力で受験勉強に勤しんだ。
目指すは弘前大学医学部合格。目標をここに決めたのは、受験に詳しい同級生をつかまえて“二次試験での受験科目が少ない医学部”を尋ねたところ、筑波大、金沢大、弘前大の各医学部との返答。なかでも弘前大学の入学試験は、英語と数学、面接のみとわかったからだったという。
「それで3か月90日分の勉強の予定を立てて。それ以降は寝る・風呂以外がずっと勉強。口を開く機会といえば、コンビニのお姉さんの“お弁当、温めますか?”に“お願いします”と答えるぐらい」
そこまでやった試験本番、にもかかわらず、ここではアスペルガー特有の「忘れ物が多い」「他のことに気を取られるとそちらのほうに気がいく」のが出てしまったのか、大ボケをかましてしまう。
「二次試験で弘前まで行って、バスに乗って試験会場に出かけたら、下見したときと風景がちょっと違う。運転手さんに尋ねたら“全然違う! 医学部の受験会場はあっちだ!”
焦って降りたら、もう1人同じようなのが出てきて2人で走った(笑)」
試験に15分遅刻したものの、どうにか受験させてもらうことができ、無事合格。どうにかこうにか、念願の、医大生としての生活が始まった。