翌年はみんなでベトナムのフォーを作って、中国とベトナムの獅子舞が合同で踊ってくれたりもして、いい交流ができました。その次は、ペルーやボリビアといった南米系の人が増えてきたので、食文化で交流しませんか?と、お話ししたら、ペルーの大使館が喜んでくれて。そのときの料理が本当においしくて、いまだに忘れられないぐらいです」

 当時の写真を見せていただくと、「アヒ・デ・ガジーナ」(鶏肉のこしょう煮込み)や「ロモサルダード」(牛肉と野菜の炒め物)、「チチャ・モラーダ」(紫色のトウモロコシとスパイス、砂糖を煮出したペルーの国民的ジュース)など、うまそうな料理が並んでいた。さすが、南米一の美食大国だ。

「南米の人たちは本当に明るい。民族衣装を着たダンサーの踊りも素敵で、夕方の18時半から始まって23時ごろまでみんなで踊っていました」

 これら一連の交流を通し、遠藤さんはペルー大使館から親善大使に任命された。

『いちょう団地に国境はありません』

 異国文化への理解を深めるためのイベントを4年間行った。次のステップは、日本の文化を知ってもらうこと。そこで遠藤さんは、団地の祭りの神輿の担ぎ手として彼らを誘った。

「チラシに、『いちょう団地に国境はありません』『小さな合衆国』といった文言を入れたら、『いちょう団地に来てよかった』と、泣いて喜んでくださる方もいてね。ただ、神輿って重いでしょう。彼らの中には肩を腫らしちゃった人もいて、次の年も誘ったら、『もう勘弁してください~』って。ケンカしたとかではなくて、『いい経験をしました』と言ってもらいましたけどね」

 当人同士が了解し合っていても、周囲に伝播する過程でモメた話にすり替わってしまうことがある。実際、これまでに住人間の摩擦がまったくなかったわけではない。

「2006~2007年ごろですか。外国人と日本人の間でトラブルが起き、何をやってもすべて外国人が悪いんだという決めつけがひどい時期がありました。『遠藤さんが外国人に優しくするから、こうなったんだ』とも言われて、つらかったですね。今はそういったことはなく、撒いてきた種がやっと芽吹いたかなという感じです」

 今ではSNS等で各国料理の情報もシェアされやすくなっているが、当時は調理の際に出る肉や調味料の強いにおいに免疫がなく、開け放たれた扉や窓から漏れるにおいを嫌がる人もいた。遠藤さんも最初は独特のにおいに苦手意識を持っていたが、時がたつにつれてそれも薄れていった。

「人間の鼻って慣れるんですよね。今では他所に出かけると、『早く帰ってあのにおいを嗅ぎたい』と思いますし、団地が近づいてきてにおいがするとホッとするぐらい生活の一部になっています」