テレビ全盛の'80〜'90年代、華やかな活躍を見せた“女性アナ”たち。時がたち、還暦を迎える年齢となった現在はどのような生活を送っているのか。かつての苦労や第二の人生について、元テレビ朝日アナウンサーの雪野智世(60)に話を聞いた──。
未婚で子宮筋腫を患うも高齢出産
「私、いつ死んでもいいと思っているんです。別に死にたいわけじゃないけれど、もうやり尽くしたので」
と言うのは、元テレビ朝日アナウンサーの雪野智世(60)。昨年還暦を迎え、
「アナウンサーにもなれたし、人生で経験したいと思うことはすべてやってきた。あとは楽しくいられたらいいなって思っています」
と現在の心境を口にする。
雪野アナといえば、まず思い浮かぶのが『トゥナイト』。ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)で再注目された、テレビ史に残る伝説の深夜番組だ。雪野アナは入社2年目でリポーターに抜擢されている。
「番組は月曜日から木曜日まで、週4日の生放送。毎回流行のネタを取材に行くのだけれど、明日のネタが決まっていないんです。本番が終わり、会議が2時、3時まであって、家に帰ってシャワーを浴びて、翌朝7時にロケに行って─。なんてこともよくありました」
きわどい下ネタや過激なロケは番組名物。クセの強い共演者に囲まれ、物おじしないサバサバとした物言いで人気を集めた。とはいえ当時20代。抵抗はなかったのだろうか?
「最初はちょっとありましたけど、そ知らぬ顔してやろうって自分で決めたんです。動じない感じで、さらっと流そうと。そのうち本当に大丈夫になってきちゃった(笑)」
ベルリンの壁崩壊やドーハの悲劇に立ち会い、チェコの大統領をはじめ各国の要人に取材もした。普通ではできない経験がたくさんできた、と振り返る。なかでも忘れられないロケはというと……。
「高級SMクラブのロケ! もうすごい血も出ているし、あれが一番怖かった。テレビでそれを放映するなんて、今じゃありえないですよね」
令和の不適切案件も、昭和の時代は当たり前。上下関係も厳しく、そこで鍛えられたことも多かったという。
「テレビ朝日のアナウンス部は当時6階にあったけど、新人はエレベーターを使ってはいけなかったんです。朝の挨拶がなってないと言われては1階まで階段で下りてやり直しをさせられたりと、もう修業。ろくでもないリポーターだとか、使えないとか言われたこともありました。いつか見返してやろうと思っていたけど、その人も知らない間にいなくなってましたね(笑)」
『トゥナイト』のアシスタントを7年間務め、フリーに転身。女子アナの定年は30歳といわれていた時代のことだった。
「そのまま局にいても、広報や人事部に異動することになる。でも私は喋る仕事がしたかったから」と、あくまでもアナウンサーにこだわった。