事故後しばらくは意識不明で、事故前後の記憶もほとんどない。病院に到着した後、医師からの説明を受け、みゅうさんの両親は話し合いのすえ両脚を切断することを決めた。
「脚を切断しないと傷口から菌が入って命を落とす危険があるので、より命が助かる選択をするために決断したと、両親立ち合いのもと医師から説明がありました。ただ、当時はまだ16歳ということもあり、医師も両親もどのタイミングで言うべきか、慎重になっていたようです」
ショックよりも早く退院したいという気持ちが勝った
みゅうさんが自身の脚のことを知ったのは、事故から1か月ほど経った時のこと。事故直後は集中治療室で過ごし、強い痛み止めを点滴していたこともあり目が覚めてもすぐに眠ってしまう状態だった。
だんだんと意識のある時間が増えていったものの、脚がなくなったことにすぐには気づかなかったという。
「『幻肢』といって脚や腕を切断した人が、なくなった脚が存在するように感じたり、時には痛みを覚える症状があります。いまでもその症状はあって、車いすに乗っている時にペダルを踏んでいる感覚や、ベッドに寝転んでいる時も膝を伸ばしている、といった感覚があるんです。
なので、意識を取り戻して落ち着いた後も、脚がある感覚で過ごしていました。それに、骨盤が折れているから安静にとも言われていて、下半身には布団がかかっている状態だったから余計に気づかなかった」
たまたま身体を少し動かした時にシーツがよれてしまい、直そうとお尻と太もものあたりに腕を伸ばした時に、自分の脚に何かあったのかもしれないという考えがよぎった。
「お尻のあたりに触れると、ビニールの感触があったんです。ビニール越しに布のような感触もあって『包帯が巻かれた上からビニールで覆われている』と気づき、はじめて自分の脚に何かあったのかもしれないと思いました。
私はとってもアクティブな高校生で、学校に行った後はバイトをしたり資格の勉強をしたりと、暇な時間があるのが嫌なタイプだったので、意識を取り戻してからの『絶対安静にしてなるべく動かないで』と言われる入院生活がけっこう地獄で(笑)。とにかく早く退院したかった。
でも、誰も私になにがあったか教えてくれない、そのモヤモヤが本当に嫌でした。なので、なかなか退院できない理由は脚にあるのかも……と、主治医の先生が巡回にきてくれたタイミングで『もしかして、脚がなくなっているんですか?』と自分から聞きました」
主治医もまさかみゅうさん本人から聞いてくるとは思わず、かなり驚いていたという。「両脚を切断した」という、ショッキングな状況をどのように受け止めたのか。
「不思議とすんなり受け入れた自分がいました。受け入れたというよりも、自分の身体に何があったのかモヤモヤが晴れて、すっきりした感じ。『じゃあ車いすの生活になるんですよね』『いつからリハビリ開始ですか』『退院の目途はいつですか』とすぐに先生に聞きました。
ショックよりも、早く退院したいという気持ちが勝ったというか……。いま思えば、どうしてそんなに簡単に受け入れたのか、過去の自分に聞きたいくらいですが、多分車いすユーザーが身近にいなかったし、車いすで社会生活を送るという大変さが想像できていなかったのもあったのかもしれないですね」