「なんだ、そんなに焦らなくていいんじゃないか」と思えた
小川 そしてまさに『斜線の旅』というタイトルの本をお書きになっている。この本には比喩的なイメージのすごく豊かな言葉が次々に出てくるでしょう。それを読書に当てはめたらどうなるかっていう本が『本は読めないものだから心配するな』だと思うんですよね。ぜひこの2冊はセットで読んでもらいたいと思うんですけど、どういうふうに連なりがあるかっていうと、たとえば積ん読も、もっともっと本を買いたい、もっと遠くまで行けるんじゃないかという、帝国主義的・植民地主義的な欲望に駆られてるような側面もあると思うんですよね。
石井 うんうん。
小川 でも管さんはそれが旅的。管さんは「グランドキャニオン」なんていう比喩を使ったりするんですよ。そんな壮大なイメージを使うかと思ったら、 私たち積ん読や読書をする人間は、そこに人間として行くんじゃなくて、海亀の赤ちゃんのように這って行くと書いている。
石井 おもしろいイメージですよね。
小川 ちょっと読ませてもらうと、
《ただ、ひたすら海をめざして砂浜をはう海亀の赤ちゃんのように、海の明るみに飛びこみ、波に翻弄されつつ海流に乗り、遠い未知の大洋を自由に遍歴することを願うだけだ。その大洋の感触との関係に立って、何かをつかみ、しっかりと考え、的確に行動する。その「何か」が何なのかは、わからない。それはたぶん事後的にふりかえったときにしか、わからないものなのだろう》管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』(ちくま文庫)より
っていう、遊牧民族的な感じ。植民地的に、よし、ここまでは自分たちの領土として手に入れるぞ、知識を獲得するぞ、みたいなそういう近代西洋的な知識欲とは違う。
石井 そんな感じはしないですね。
小川 私はこの30年、本が欲しいとか、研究をしていろんな物事を知らなければならないとか、駆り立てられて生きてきたのですが、管さんの本を読んで、 なんだ、そんなに焦らなくていいんじゃないかと思えました。私たちはせいぜい海亀の赤ちゃんだから、どれだけがんばったとしても、なにを掴んだとしても、大したもの掴めてないんだと。でも、その掴んだなにかは確かに残る、っていう。旅の感覚に似てると言ったのは、そういうことなんです。
石井 管さんはたくさんの本を持っていらっしゃるけれど、まったくコレクター的ではないんですよね。取材に行っていちばん驚いたのは、初めてお会いしたのに、 挨拶したらいきなり本をたくさんくださったんです(笑)。
小川 素敵やん!
石井 めっちゃうれしかったですねぇ。
小川 なかなか自分のコレクションはあげないですよね。
石井 わしっと分け与えてくださる感じだったんです。だから本を持つのは、所有欲とかではないんだろうなぁ、って。
小川 たぶんご自身ももういろんなところに行って掴んできたんでしょうね。そのなにかを手放すときは、ほかの人がまたなにかを掴むために手放したい、という思いがあるのかもしれません。ごめんなさい、勝手に代弁者みたいになってますけど(笑)。
石井 もちろん蒐集することを否定するわけではないんですけど、管さんの姿勢はとてもおもしろいと思うんです。取材も最高でした。
小川 『積ん読の本』の管さんのページは、私が長らく積ん読にしていた管さんの本をしっかり読んで咀嚼する手がかりになるインタビューだと強く思いました。
石井 ありがとうございます。