「積ん読」を意味する言葉は海外にはない?
小川 私はここ30年、メアリ・シェリーとその代表作である『フランケンシュタイン』の研究をしているのですが、メアリ・シェリーが主人公の科学者に作らせたのがなぜ人造人間だったのか、という問いに対して、ありとあらゆる知を結集させたもの、その象徴が人造人間だった、ということなんじゃないかと考えています。そんなメアリ・シェリーがおそらく読んだんじゃないかって私が考えている本が『ビブリオマニア』という小説なんです。
石井 bibliomaniaは「書籍狂」という意味ですね。
小川 19世紀のトマス・フログナル・ディブディンという人が書いたとても美しい本で、狂気に駆られるほどの知の欲望に駆り立てられている人、たとえばその当時「知の塊」と呼ばれていた「ジョンソン博士」ことサミュエル・ジョンソンこそが、この近代を代表する知の権化である、というようなことを書いているんですよ。だから私もそんなものをずっと読んできてしまってるからこそ、どこかでビブリオマニア的なマインドセットに完全に侵されてる。そうすると管さんのような、爽やかで旅的な、積ん読をする、本を読むという考え方が、私がやってきたことはちょっと違うんじゃないかと、揺らぎが生まれるわけですよ。
石井 ビブリオマニアっていうのは積ん読に近い言葉ですよね。
小川 英語には「積ん読」に対応する言葉はないんですよ。だから英語でおそらくいちばん近いのが「ビブリオマニア」。本を愛してやまない人たち。
石井 「愛書教」とでも言うような……。確かに管さんの積ん読っていうのは、ビブリオマニア的な物欲とは全然違う感じでしたね。
小川 そうなんですよね。だから今回読んですごく良かった。こういう管さんのような詩人がどういうふうに積ん読してきたのか、所有欲がないまま積ん読できるものなのか、って。私もやっぱりコレクションしちゃう方で、メアリ・シェリー全集とかも持ってるんですよ。石井さんが取材にいらっしゃったときも、ぜひお見せしたかったのに、なんか奥の方に隠しちゃっていて……。
石井 どこに置いてあったんですか?
小川 奥側に。 この裏にある。
石井 この裏にあったんだ。
小川 隠してるんですよ。なんかいやな性格みたい(笑)。
石井 いやいやいや、そんな(笑)。
小川 そういう全集とかがいっぱいあって、でもたとえばそれを誰かにあげられるかって考えてみても、絶対あげられないなって思うんですよね。だからといって、そのメアリ・シェリー全集を毎日使うのかというと、年に何回か、ほんの数ページを確認するくらい。普段はペンギン版を使うことが多いので。だからもう今回は本当に積ん読ってなんなんだろうというのを、めちゃめちゃ考えさせられました。