目次
Page 1
ー 八名信夫が振り返る役に没頭していた時代 ー 明治大学野球部からプロ転向。実は大谷翔平の先輩!
Page 2
ー 経営権を買い取った日本ハム
Page 3
ー スターを震え上がらせる悪役を目指して研究の日々
Page 4
ー 「悪役商会」を設立し、悪役たちと縦横無尽な活躍
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ー 世の中のために「悪役であり続けたい」と誓う
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ー 多くの人がその人柄に惹かれる

長身の怪紳士で俳優・八名信夫(89)。悪役として殺された回数は1200回を超える。東映撮影所で、文字どおり“死に物狂い”で役に没頭していた時代を、年齢を超えた目の輝きで語り、そして今後の日本を憂えるー。強面ながら、その佇まいはどこか温かい。悪役一代、ここに見参!映画のような人生を、とくとお聞きあれ。

「監督、はよ殺さんかい。次の仕事ができんだろ」

八名信夫が振り返る役に没頭していた時代

悪役としてのワンシーン
悪役としてのワンシーン

 悪役として殺された回数は1200回を超える。東映撮影所で、文字どおり“死に物狂い”で役に没頭していた時代を、八名信夫はこう振り返る。

「悪役のほうがゼニを稼ぐことができた。死ねば拘束時間が少なくなるから、次の現場に行ける。死ねば死ぬほど、俺は生きていくことができたんだ」

 耳を傾けるこちらをジッと見て、ハット姿でニヤリと笑う。そのしぐさは、まるでギャング映画のワンシーンを見ているかのようだった。悪役には悪役の哲学がある─。

『網走番外地』シリーズ、『仁義なき戦い』シリーズなどで数々の悪役を演じてきた八名は、1983年、同じく悪役を演じてきた俳優とともに「悪役商会」を結成する。それまでの役とは一線を画すコミカルな一面が認知されると、バラエティー番組などでも活躍。キューサイの青汁のCMでは、「まずい! もう一杯!」と言い放った。

 悪役だった男は、いつしか映画やドラマ、テレビ番組で欠かすことのできない存在になっていた。

「俺の人生、これでよかったんだろうかって思うときがある。何かを残してこれたのかなって。ただ、ここまで元気に仕事を続けられたのは、今まで出会った皆さんのおかげだから。80歳を過ぎてずいぶんたつが、誰かの役に立って生きていきたいという気持ちが強くなったんだ」

「まずい! もう一杯!」が話題となり、26年も続いた青汁のCM
「まずい! もう一杯!」が話題となり、26年も続いた青汁のCM

 89歳になった希代の悪役は、自らの足跡を顧みる『悪役は口に苦し』(小学館)を上梓し、思いの丈を伝えた。その冒頭で、八名はこう綴っている。

《小学校の学芸会の「桃太郎」で、いつも「鬼」の役をやらされていた。(中略)考えたら、小学校の頃から、悪役をやってたんだなあ。鬼だって、いい鬼もいれば悪い鬼もいる。鬼が悪い鬼を、退治したっていいじゃないか》

 なるべくして悪役になった。だが、多くの人に愛された。なぜ八名は、いい鬼として花を咲かせることができたのか─。

明治大学野球部からプロ転向。実は大谷翔平の先輩!

4歳のころ、地元の岡山県で
4歳のころ、地元の岡山県で

 1935年、八名は岡山県岡山市で3人兄弟の末っ子として生まれる。3歳のとき、肺結核を患った生母は伝染を恐れて、籍を抜いて家を出た。父は後妻を迎えたが、「最初はお母さんとは呼ぶことができなかったな」と八名は回想する。

「俺が9歳のときに岡山大空襲があった。逃げる途中、田んぼの溝の中で気絶してしまい、なんとか炊き出しをしている小学校へたどり着いた。はぐれた母もいて、『信ちゃん、これ食べ』と自分のおにぎりを半分に割って抱きしめてくれた。それからお母さんと言えるようになったんだ」

 終戦後、疎開先の平島(現・岡山市東区)で進駐軍がキャッチボールに興じる姿を見たことがきっかけで、野球に興味を覚えた。父は、岡山で千歳座という芝居小屋兼業の映画館を経営する興行師だったが、八名は野球選手に憧れを抱いていくようになる。

 俳優のイメージが先行するが、八名は元プロ野球選手でもある。明治大学から東映フライヤーズにピッチャーとして入団。といっても、すんなりと入団したわけではない。

「明治大学野球部のしごきがひどくて、冗談抜きでこのままでは死ぬと思った。ある日、仲間が『八名、逃げろ』と協力してくれて、逃げ出す形で退部したんだ」

 プロ野球にドラフト制度が導入されるのは1965年。八名が退部した1956年時点では、球団は直接交渉し、一本釣りで選手を獲得していた。「明治大学に八名といういいピッチャーがいたが、どうやらそいつが逃げたらしい」。たちまち噂は広まり、東映フライヤーズの球団関係者と会うことになった。逃亡から、わずか3日後のことである。「むちゃくちゃな時代だよな」、懐かしそうに目を細めて、八名が笑う。

「プロ野球といっても、東映フライヤーズの本拠地、駒沢野球場は土ぼこりが舞うような原っぱみたいなもの。俺たち選手よりお客さんが少ないときもあった。まさか、“こんなに”人気が出るようになるとはなぁ」