ブルさんは170cmと長身でレスラーとして恵まれていたが、体重も増やしたかった。
「15歳の入門時の手取りは月4万5000円だけ。先輩が残したものを食べるような、ゴミが主食の生活では全然体重が増えなくて(笑)。極悪同盟に入ってからはダンプさんが食べさせてくれたりしたので、100kgを目標に。
食べても太れなくなってからは男性ホルモンの注射を打って115kgまで増やしました。ただ、生理が止まり、すね毛が生えて。しかも男性のような声になったのでやめたんです」
何度もリバウンドを繰り返して痩せられなくなる
身体強化とトレーニングを経て、'90年から3年間、WWWA世界シングル王座のチャンピオンに。その後は海外に遠征し、アメリカのプロレス団体の世界女子王座を日本人で唯一獲得した。
'97年に引退後は一転してプロゴルファーを目指すため、過酷なダイエットに挑戦した。
「体重を3か月で50kg減らして65kgにして、30歳でゴルフ場の研修生になりました。ずっと夜型生活だったので、でもゴルフは朝が早くて、緑の中で陽を浴びる生活をしてみたかったの」
しかし、その5年後にレスラーとして引退セレモニーを行うことになり、再び増量。
「42歳で100kgになるには、9か月かかりました。その翌日からダイエット。このときは、テレビ番組の企画で65kgまで戻すことができたのですが、何度もリバウンドを繰り返して痩せられなくなり、膝と腰が体重を支えられず歩けなくなって……」
膝の負担を減らすため、減量効果のある胃のスリーブ手術で、胃を90%切除した。
「結果として痩せたものの、4、5年はまともに食べられなかったです。最初は水もペットボトルのキャップに入れた量を飲んでも、身体が受けつけず、すぐ戻したりして」
栄養失調と脱水症状が半年くらい続いたので、病院で点滴を打っていたという。
「1年後に固形物も食べられるようになりましたが、たびたび吐きそうに。それで、栄養をとるためにサプリが欠かせなくなりました。飲食店をやっていたので、営業中はお酒を飲んでそれが食事代わり。結局、アルコールでマヒさせちゃっていました」
「そんな生活を続けていたら52歳のとき、アルコール性肝硬変で入院に。お酒とサプリが原因です。実は病院に行って『このまま帰せません』と言われたことが何度もあったんです。でも仕事を口実に3年ほど逃げ続けていました」