目次
Page 1
ー 生涯現役を誓った加藤登紀子
Page 2
ー 生まれは旧満州のハルビン
Page 3
ー “ハプニング”で消えた幻のサードシングル
Page 4
ー シンガー・ソングライター加藤登紀子の誕生
Page 5
ー 高倉健さんが登紀子に求めた演技とは
Page 6
ー 夫との出会いは強烈な個性のぶつかり合い
Page 7
ー 離婚の二文字が浮かんでは消える ー ハルビンの思い出を抱き、声で演じたジーナ

 間もなく御年81歳を迎え、ますます意気軒昂。半世紀以上続けている『ほろ酔いコンサート』をはじめ、数多くのライブを今も精力的にこなす。そのバイタリティーの源は、一体どこにあるのか。

生涯現役を誓った加藤登紀子

'60年に新宿へ移転した「スンガリー」。店内には世界中の音楽が流れ、登紀子が音楽を好きになるきっかけにもなった
'60年に新宿へ移転した「スンガリー」。店内には世界中の音楽が流れ、登紀子が音楽を好きになるきっかけにもなった

 2024年10月10日。

 生涯現役を誓った加藤登紀子の歌手生活60周年を祝うパーティーが、ビルボードライブ東京で盛大に行われた。

 登紀子が記念すべき日の1曲目に選んだのは、シャンソンを代表する楽曲で、世界中の人から親しまれる『愛の讃歌』。エディット・ピアフが恋人に捧げたあの名曲である。

 真っ赤なバラを思わせる艶やかなドレスに身を包んだ登紀子が現れるや、祝福に駆けつけた300人のファンから万雷の拍手が湧き起こった。

「10月10日という日は、くしくも'63年にピアフが亡くなった日。私がもうすぐ20歳を迎えるときのことでした。憧れのピアフ、47歳の死。この衝撃が私を歌手にした。そう思うと、今日の日付が偶然のように思えません」

 ステージで倒れながらも歌うピアフの姿を胸に焼きつけた登紀子は、すっかり彼女の人生に魅せられ、恋多き生きざまに刺激を受けた。

 音楽評論家の湯川れい子や、デザイナーのコシノジュンコ、料理愛好家の平野レミ、そしてデヴィ夫人や池畑慎之介、渡辺えり、南こうせつなど各界の大御所たちも記念すべき60周年を祝うために駆けつけ、ステージに花を添えた。

「最初に会ったのは'69年の日本レコード大賞の授賞式。私が最優秀新人賞で登紀子さんが歌唱賞を受賞。シャンソンを愛する者同士、半世紀以上の付き合いになるかしら。

 女らしくて可愛らしい人なのに、ステージに立つとコシノジュンコや三宅一生の奇抜な服をカッコよく着こなしていらっしゃる。今後もできることがあれば駆けつけたいと思います」(池畑慎之介)

 さらに宮崎駿監督や和田アキ子、そして石川さゆりといった錚々たるメンバーからのメッセージが読み上げられる。

 中でも今年、6年半ぶりに表舞台に姿を現した中森明菜からメッセージが寄せられると、明菜へ自作の曲『難破船』を贈った当時を振り返り、

「20歳の失恋を歌っていたので、『難破船』はあなたが歌ったほうがふさわしいと思うわ」

 そう言って、直接カセットテープを手渡したという秘話も披露。

「歌との出合いは恋の始まりと似ている。何か運命と呼ぶしかない不思議な縁に導かれ、いつの間にか深い関係になってしまう」

 登紀子は過ぎ去った遠い日々に思いを馳せ、静かにグラスを傾けた。