ダンスのうまさで目立ち、身元がバレて……

3歳のとき『黒髪』で初舞台を踏む。跡取りとして厳しく芸を仕込まれたのだが……
3歳のとき『黒髪』で初舞台を踏む。跡取りとして厳しく芸を仕込まれたのだが……
【写真】俳優・池畑慎之介が誕生するきっかけになった黒澤明監督とのツーショット

 東京駅に降り立つも、慎之介に頼るあてなどなかった。憧れの青山通りを渋谷から赤坂まで何度も行ったり来たり。やがて足を踏み入れた表参道で「ゴーゴーボーイ募集」の看板を見つける。

「表参道は当時、ブティックはほとんどなく、同潤会アパートや教会、普通の家が並んでいる地味な通りでしかなかった。でもゴーゴークラブ『乃樹恵(のじゅえ)』が入っていたビルが、アーティストたちの拠点でもある憧れの原宿セントラルアパートだと知り、ピンときた」

 ウエーターをしながらジュークボックスの音楽を聴き、朝まで踊る。夢のような生活を送っているうち、慎之介のダンスはたちまち評判に。

「ダンス上手ね。教えて」と声をかけられることもあった。ところがこのうますぎるダンスがアダとなる。

「あなた踊りうまいけど、お父さん何してるの」

 と聞かれ、思わず父の名前を出した。これが運の尽き。

 身元がバレ、10年ぶりに父との再会を果たす。その晩、何を話したのか。慎之介は緊張していたせいか、ほとんど覚えていない。ただ、

「夜中に目が覚めたら、枕元に座る父がこちらを見て泣いていたことを覚えています」

 やがて家族会議が開かれ、慎之介は大阪の父の元に引き取られることに。そこでは再び鬼の稽古が待っていた。

「私を立派な跡取りに育てたい。そんな父の思いはわかっています。だけど10年間のブランクは両親の離婚が原因。それを無理やり埋めようとする父のスパルタ稽古には我慢がならなかった」

 慎之介はミッション系の桃山学院高校に進学したものの、1学期が終わった夏休みに父と話し合い、再び家を出る。

 敷かれたレールの上を歩かされると途端に息苦しくなる。

 それが生まれながらの性分。何より未知の世界の楽しさを知ってしまった慎之介を、もはや誰も止めることはできなかった。

 再び上京すると原宿だけでなく、六本木や銀座のゴーゴークラブでもアルバイトをするようになる。すると、

「あの踊りのうまい子、男の子? 女の子?」

「ピーター・パンみたいでかわいい」

 噂が噂を呼び、慎之介目当てのファンが日増しに増えてゆく。気がつけば慎之介は、おとぎ話に登場する憧れの主人公“ピーター”と呼ばれるようになっていた。

 当時を知る世界的なファッションデザイナー、コシノジュンコは、こう振り返る。

六本木のゴーゴークラブで踊っていたとき、GS「オックス」のボーカル、赤松愛さんに似ていると言われ“六本木の赤松愛”というニックネームも
六本木のゴーゴークラブで踊っていたとき、GS「オックス」のボーカル、赤松愛さんに似ていると言われ“六本木の赤松愛”というニックネームも

「六本木のゲイバー『吉野』で知り合って以来、ピーちゃんは私の家に入りびたり。そのまま泊まっていくこともあったわ。とてもチャーミングでかわいい男の子。弟だか妹だかわかんない感じがよかった(笑)」

 当時、『平凡パンチ』の表紙を描いていた宇野亜喜良や横尾忠則など、時代の寵児たちが集う社交場で交友関係を広げていく慎之介。

 コシノには、当時の忘れられない、とっておきのエピソードがある。

「免許を取って中古のフィアットを買ったの。だけどみんな私の運転が怖くて、ピーちゃんしか乗ってくれない。ある日、青山にある私のブティックの駐車場に車を入れたら、後ろに別の車が止まって出せない。困っていたら、“いざとなったら男だ”と言ってね、男手も借りながらイチニノサンで持ち上げ、後ろ向きの車を前向きにしてくれたのよ」

 圧巻のパフォーマンス。なんという武勇伝だろう。そんな慎之介を時代は放っておかなかった。'68年、人生を左右する出会いが待っていた。