映画主演から歌手デビューで一躍“時の人”に

『夜と朝のあいだに』で歌手デビュー。そのときのキャッチフレーズは“アポロが月から連れてきた少年”
『夜と朝のあいだに』で歌手デビュー。そのときのキャッチフレーズは“アポロが月から連れてきた少年”
【写真】俳優・池畑慎之介が誕生するきっかけになった黒澤明監督とのツーショット

「映画の主役を探しているのだけれど、興味ない?」

 六本木のゴーゴークラブで踊っていると、舞台美術家で画家としても活躍する朝倉摂さんから、声をかけられた。

「私が主演したのは、'60年代の東京を舞台に親殺しや父と息子の近親相姦を描いた問題作『薔薇の葬列』。新宿のゲイバーの看板ゲイボーイ・エディ役に抜擢され、初めて化粧をして“ピーター”の名前で出演しました。かなり大胆な演技にも挑戦しています」

 アバンギャルドな映像作家・松本俊夫さんならではの趣向が凝らされ、蜷川幸雄さんや淀川長治さんなど当時、最先端の芸術家や文化人が出演する話題作に主演したことで、慎之介はたちまち時の人となる。

慎之介主演デビュー映画『薔薇の葬列』。ゲイボーイ役に100人近い候補者でオーディションを行ったが該当者なし。そこに現れたのが慎之介だった
慎之介主演デビュー映画『薔薇の葬列』。ゲイボーイ役に100人近い候補者でオーディションを行ったが該当者なし。そこに現れたのが慎之介だった

 そしてこの映画からヒントを得て作られたのがデビュー曲となる『夜と朝のあいだに』である。この曲の作詞を手がけた、なかにし礼さんは生前、

「当時のピーターに、ギリシャ神話の美少年のイメージがピッタリと重なった」

 と明かしている。

「そんな私がお茶の間のブラウン管に登場。男の子か女の子かわからない少年が低い声で歌い出すと、壊れたのではないかとテレビの横を叩く視聴者が大勢いたそうです」

 10月1日に発売されたこのデビュー曲はセンセーショナルな話題を呼び、その年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。慎之介は、上京からわずか1年でスターダムを駆け上がった。

 当時、まだ生まれていなかった歌手・タレントのミッツ・マングローブは、慎之介のことを“女装して舞台に立つトップランナー”と評してリスペクト。当時のピーターの魅力をこう分析する。

「美輪明宏さんや美川さんには記号化されたイメージがありましたが、ピーターさんにはそれがありません。その日の気分によって髪形やファッションがガラッと変わる。そこが最大の魅力。私もそうありたい。憧れていました」

 まさに七変化こそ、慎之介最大の魅力。それだけに新人歌手、ピーターのプロモーションには当時、スタッフも苦戦を強いられている。

「事務所は当初、“大人に可愛がられるピーター”をイメージして、キャバレー回りに力を入れました。ところがフタを開けてみると、熱狂的に支持してくれたのはティーンの女の子たち。このギャップには驚いてね。そこで二刀流。昼間は市民会館で女の子たちの前で歌い、夜はキャバレーのショーに出る。持ち歌が2曲しかなかったから、越路吹雪さんの『ラストダンスは私に』やアダモの『雪が降る』といった曲も歌っていました」

 当時はグループサウンズ(GS)も下火になり、ピーターには“ポストGS”への期待がかかっていた。

「ティーン雑誌で『ジュリーVSピーター』の企画が組まれたのもそのころ。ステージで聞いた“キャー”という声が耳に残っています」

 しかし「歌をもっと勉強したい」と言っても却下。今後の役に立つことも、イメージが壊れるような仕事は、やらせてもらえなかった。

「トイレにもファンがいるかもしれないから外出先では行くなと言われ、いまだに外で水をガバガバ飲めません。かわいそうでしょう?」

 さらにデビューから5年たったころ、ショッキングな出来事が起こる。慎之介の給与が手取り10万円であることを知り、歌手仲間から心配する声が上がった。

「同世代の演歌歌手は、その何倍ももらっていました。お金に無頓着だったんでしょうね。もっとちゃんと把握しておけばよかった」

 さまざまな疑問が日増しにふくらみ、デビューから7年。慎之介は事務所を辞める決心をする。

「大人になってアイドルはもういい。歌番組も減り、ドラマや映画でもどっちつかずの役ばかり。もう干されてもいいから事務所に“ちょっと休ませてほしい”と言って日本を後にしました」