ニューヨークで気がついた「自分は自分」

「何かをやらされている」生活から解き放たれ、自由を満喫したニューヨーク
「何かをやらされている」生活から解き放たれ、自由を満喫したニューヨーク
【写真】俳優・池畑慎之介が誕生するきっかけになった黒澤明監督とのツーショット

 24歳になった慎之介は、当時ヘアスタイリストとして活躍し“ピーターカット”と呼ばれた、狼カットの生みの親、宮崎定夫さんを頼ってニューヨークへ向かった。

「朝起きて散歩して、美術館やブロードウェイ、ライブハウスに通い、自分ひとりの自由な時間を満喫しました。思い返せば、この7年間、人にやらされる仕事ばかり。何かやりたいことを見つけて帰ろう、と思っていました」

 時間をかけてゆっくりと自分の進むべき道を探せばいい。

 そう考えていた矢先、ニューヨークで出会った友人のひと言が慎之介の心を動かす。

「ニューヨークでメイクするのが恥ずかしい」

 そんなモヤモヤした気持ちを打ち明けると、

「日本では、それで有名になったんだろう。もっと堂々と自分のやりたいことをしたほうがいい」

 思えば、グループサウンズでもジャニーズでもない奇異なアイドルという、重たい着ぐるみを脱ぎたい。そう思って事務所を辞めた。だがアイドルはやめても、唯一無二のスタイル「ピーター」をやめる必要はない。そう考えると、

「もう一度スポットライトを浴びたい」

「何かをやらされている」生活から解き放たれ、自由を満喫したニューヨーク
「何かをやらされている」生活から解き放たれ、自由を満喫したニューヨーク

 そんな思いが慎之介の心にフツフツと湧き上がった。1~2年は滞在するつもりでいたニューヨークでの生活を、2か月足らずで切り上げて帰国。事務所を移籍して再出発する決心を固める。

「新しい事務所に歌の仕事もきちんとするから、舞台をやらせてほしいとお願いしました。舞台は一度立ったら自分の責任でお芝居をして評価される世界。そこに魅力を感じました」

 慎之介は歌の仕事の傍ら、小沢昭一さんの舞台『ワイワイてんのう正統記』や寺山修司さんの『青ひげ公の城』といった舞台に出演し、舞台俳優としてのキャリアを積んでいく。そんな慎之介を熱い眼差しで見つめる人がいた。映画界のレジェンド、黒澤明監督である。

巨匠を“黒ちゃん”と呼び、周囲はドン引き

俳優・池畑慎之介が誕生するきっかけになった黒澤明監督との出会い
俳優・池畑慎之介が誕生するきっかけになった黒澤明監督との出会い

 '85年に公開された黒澤明監督がメガホンをとる日仏合作の超大作『乱』。

 本作は仲代達矢演じる戦国武将・一文字秀虎が家督を譲った3人の息子たちに裏切られ、骨肉の争いの末に半狂乱となり城を追われる歴史スペクタクルである。

 この作品で慎之介が演じたのが、秀虎にズケズケとモノを言う道化師の狂阿弥だ。

「公開の何年も前に呼ばれ、“君にやってもらいたい役がある”と言われ、見せてもらった絵コンテにすでに私の顔が描かれていたんですよ。うれしかったですね」

 しかも世界のクロサワから、

「今回はピーターのイメージはいらないから、素顔でやってみよう」

 と言われ心が躍った。映画『乱』をきっかけに俳優として出演する作品は「池畑慎之介」。歌手のときは「ピーター」。2つの名前を使い分けることで、過去のトラウマと決別することもできたのだ。「人生の師」といえる黒澤監督との思い出は尽きない。

「おまえはまじめすぎる、俺にも狂阿弥みたいな口の利き方や振る舞いをしろと言われ、ある朝“黒ちゃん、おはよう”と言ったら、スタッフにドン引きされたこともありました」

 また、黒澤監督のかつての武勇伝に付き合うために、飲めないお酒をチビチビ飲んでいたときのこと。

「おまえ、何を飲んでるんだ」

「(焼酎の)いいちこ」

「ひと口飲ませてみろ」

 と言われ、すすめてみるとすっかり気に入ったご様子。それ以来、世界のクロサワは『いいちこ』ばかりを好んで飲むようになる。すると、

「これまで高級なブランデーを好み、スタッフやキャストにも振る舞っていましたから、これで製作費をかなり浮かせることができました」

 と、製作部から感謝されたこともあった。 

 黒澤映画『乱』への出演をきっかけに、'01年に放送された大河ドラマ『北条時宗』(NHK)では、髭をたくわえた北条家の重鎮・北条実時役を熱演。初めて老け役にも挑戦している。さらに近年の日曜劇場『下町ロケット』(TBS系)シリーズでは、血も涙もない悪徳弁護士・中川京一役を怪演。まさに変幻自在の演技に多くのファンが魅了されている。