死や生き方への真摯な思いが込められている

「幼少期の写真はほぼ実家にあったので、もう残ってないのですが……」と取材班を気遣ってくれた柚月さん
「幼少期の写真はほぼ実家にあったので、もう残ってないのですが……」と取材班を気遣ってくれた柚月さん
【写真】東日本大震災1週間後、かつて実家があった場所には何も残されていなかった

 何度も筆を止めながらも執筆を進める中で、当初の構想とは異なる部分も生じた。しかし、14年間、一貫して変わらなかったものもある。

「私はどの作品にも、書きたい1行といいますか、テーマといいますか、“これがこの小説の肝”というものがあるんです。この作品に関しても、早い段階からテーマがあり、それは書き終えた今でも変わらずあります」

 そのテーマを尋ねると、柚月さんは慎重に言葉を選びながら続けた。

「簡単に言えば“人の死に意味があるのだろうか”ということです。

 私たちは誰かが亡くなると、“どうしてあの人が亡くなったのか”など意味を欲しがってしまうものですよね。

 私自身、未曾有の災害が発生した中で、両親を捜しにいろいろな遺体安置所へ足を運び、多くのブルーシートに包まれたご遺体を目にしました。その過程で、ブルーシートの中のご遺体が、たとえ赤ちゃんであれ、殺人犯であれ、死はただ厳格にそこにあるものであって、そこに意味はないのだと思うようになりました。

 その人の死に意味を見いだすのはあくまでも生きている人であって、死はすごく厳粛で厳格で残酷なものなんです」

 死というテーマが根底に流れる本作のラストは、決して明るいものではない。しかし、そこには柚月さんの確かな思いが込められている。

「例えば過去に書いた『盤上の向日葵』も、読んでくださった方が望む終わり方ではなかったかもしれません。登場人物にとって納得できるであろう終わり方で、かつ読者の方にもその思いが伝わって最後のページを閉じていただくこと。私はどの作品も、そんなラストを目指しながら書いています」

 震災の場面や被災者でもある登場人物たちの心理描写など、緊迫感ある展開が続く中、心がフッとゆるむ場面も差し込まれている。そのひとつが犬のコタロウのシーンだ。

「コタロウが登場する場面は、14年前の構想時から書こうと決めていました。大きな変化がある中で、コタロウは変わらずにある、ひとつの象徴のような存在なんです」

 幼少期には父と市場へ出かけ、母と読書を楽しんだ『逃亡者は北へ向かう』を振り返り、柚月さんは「今まで書いてきた作品の中で、自分が経験したことがいちばん埋め込まれていて、ある意味、いちばん自分に近いように思います」と話している。そんな柚月さんのこれまでの歩みについて教えてもらった。

「生まれは岩手県の釜石市。両親と6歳上の兄の4人家族で育ちました。父は転勤族で、ゴルフや麻雀、釣り、山登りと多趣味でした。基本的に家にいない人でしたね」

父との時間を大切に

母に絵本の読み聞かせをしてもらっていたころの柚月さん。
母に絵本の読み聞かせをしてもらっていたころの柚月さん。

 多忙な中でも、父は柚月さんとの時間を大切にしていた。

「釜石に住んでいるころ、朝に港に揚がった魚を売る『魚菜市場』が開かれていました。今はもうないのですが、当時は橋の上に市場があった。父は早起きで、寝ている私に“裕子、市場に行くか?”って声をかけてくれるんです。一緒に市場に行くと“どれが食べたい?”と聞いてくれて、筋子やマグロのさくなど、私が食べたいものを買ってくれました。

 魚に関しては父が台所に立っていた。父がさばいて家族で朝ごはんに食べるんです。当時はそれが普通だと思っていたのですが、山形に引っ越してから“えっ、朝食にお刺身?”“朝から刺身定食?”と驚かれて、逆にびっくりしました(笑)」

 外出が多い父とは対照的に、母は料理をしたり、読書をしたりと家にいるのを好む人だったという。

「父も母も本が好き。私の中の本に関する記憶にあるのは母なんですね。定期購読をしていた福音館書店の『こどものとも』や絵本を、寝る前に一緒に布団に入って読んでくれました。時には電気を消して昔話を語ってくれることもあって、好きだったのが『耳なし芳一』や『牡丹灯籠』といった怪談です。怪談を話す母の口調が怖くて、泣いて眠れなかったこともありました。寝かしつけにはふさわしくないお話ですよね(笑)」

『子ぎつねふうた』シリーズなど、当時読んでいた絵本を探し求めることもあるそうだ
『子ぎつねふうた』シリーズなど、当時読んでいた絵本を探し求めることもあるそうだ

 母とは一緒にマンガを楽しんだ時期もあった。

「今でいう推し活のように、ふたりで好きなキャラクターのことを話したりしていましたね。“この先はどうなるんだろう”と私が言えば、“お母さんはこうなると思うな”と返してくれたりして、一緒に物語を楽しんでいました。母とふたりで想像をふくらませる読書体験が、私を本好きにしたいちばんの理由ではないかと思っています」

 高校生のときに父の転勤で山形県に移り住み、柚月さんは21歳で結婚。その後、再度の転勤で両親と兄は岩手県に戻った。母が他界したのは、柚月さんが28歳のときだった。

「母はがんを患い、55歳で亡くなりました。主治医からは次の桜は見られないと言われていましたが、その後、桜を5回も見ることができました」

 数年後に父が再婚した。震災後、柚月さんが遺体を確認したのはふたり目の“母”だ。

「父が住む岩手県の方言で妻のことを“かが”と言うんですね。ある日、父が“かが、もらおうと思う”と言ったんです。紹介されたのが父よりだいぶ年下の女性で“お父さん、やるじゃない”って(笑)。男やもめの父のことが気になっていましたし、ありがたかったですね。義理の母はとても優しい方で、いいご縁があって本当によかったと思っています」