"芸人の再生工場"と呼ばれて

——おふたりに囲まれて育っているというのが基本スタイルになっていると思うのですが、養成所のようなものは設けているのですか?

リッキー「養成所は、お笑いを教える場所として設けていますよ。1年間はお笑いの基本をやるけれども、面白ければすぐに事務所のマネジャーたちに見てもらうように推薦するし、半年経ったらライブを経験させる。それで1年経ったところで、事務所の預かりになるかもう1年養成所に通うかを選ばせます」

——プロジェクトGETは、”芸人の再生工場”と言われていますよね。

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小林雄司(こばやし・ゆうじ)●1967年生まれ。東京都出身。サンミュージック入社後、立ち上げ間もないお笑い部門プロジェクトGETに配属。小島よしお、鳥居みゆき、スギちゃんなど人気芸人をメディアに送り出してきた。現(株)サンミュージックプロダクション プロジェクトGET部長。
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小林「竹山にしてもそうですが、他社でいらないと言われた芸人が多いのは事実ですね。決して前の所属事務所が悪かったわけではなくて、そこで引導を渡されたからこそ、もう後がない“チクショー!”とケツに火がついた状態でうちに入ってくる。そのエネルギーは凄いですよ。決死の覚悟だから思いきった芸が生まれるのだと思います」

リッキー「まあ、そんな状態なわけだから“もし何かやらかしたときには一緒に謝りに行く”とは芸人のみんなには言っているよ。意識しているのは、芸人たちが萎縮しないように、自分の力をすべて出せるような環境作りはしています。

 スベり方によってはダメ出しをするのがマネジャーで、その悩みをこっちに持ってくることもありますが、その場合はじゃあそれを克服するための稽古をしよう、というコーチングのスタイルでやっていますよ」

小林「ブッチャーブラザーズがいることで、ふたりが芸人たちの気持ちを汲んでくれるじゃないですか? だから悩みがあったら聞いてくれるし。そういう人がいるといないでは全然違うと思います。やはりサンミュージックでお笑いをやりたいと思ってくれる理由にもなっているのかもしれませんね」

——そんなおふたりのやりがいはあったりしますか?

リッキー「やっぱりそれはかつてのダンディの場合もそうですけど、芸人生命ギリギリの勝負をしてるときもあるんですよ。そんな芸人たちでも。僕が面白いと思ったら絶対に売れると思っていて、それが実際にヒットしたりするのを見るとうれしいよね」

——ハネるハネないというのがわかりやすい分、楽しそうですよね。

リッキー「意地悪な気持ちのときもありますよね。何組かいて、スゴいウケてて、でもこの芸人さんはすぐにパンクしちゃうよな〜と思っていたのが当たると嬉しい(笑い)」

——小林さんはどうですか?

小林「そうですよね。最初は僕、石川さゆりさんのドライバーとしてホリプロに入ったんです。そのとき、さゆりさんが言っていた言葉なんですが“自分たちが仕掛けたことで、見ず知らずの人たちが話題にしたり喜んだりしてくれる。マネージャーって楽しい仕事だと思うわよ”って。例えばCDをつくるときには、じゃあこういうのつくろうか、そしたらパッケージはどうしようか、とか周りのスタッフと一緒に考える。

 それが当たったときですよね。今で言うと、電車に乗っている人、街ですれちがう人たちが“そんなの関係ねぇ”とか“ゲッツ!”とか言っているのを聞いたりしたときはやっぱり嬉しいです。ほかにも、スギちゃんの場合は30代後半になっても売れてなくて、これから先どうするんだといったところで、一気にスターになっていく。そんな姿を目の前で見ることができるわけじゃないですか」

リッキー「ほんの1日、2日くらいの差で辞めていた可能性のある人はいっぱいいるもんね」

小林「やはりそのサクセスストーリーを真横で見ていられるというのは面白いし、醍醐味ですよね」

リッキー「お笑いは数少ないジャパニーズドリームですからね。先月家賃払えなかったヤツが2、3か月後に何千万円単位のお金を稼ぎあげるという」

小林スギちゃん、本人が『R-1』で優勝したときにボロボロ泣いていましたけど、やっぱその姿を横で見たときには、“あ~、良かったな!”と思いましたね」

リッキー「なまもの、生き物を扱うっていう仕事はやはり面白い!」

*今回の連載【エンタメヒットの仕掛人】で行われたインタビューは全4部構成、本編で完結です。第1部から第3部までは以下のとおり。

第1部ウッチャンの番組に出演した芸人がブレイクしやすい理由

第2部:ダンディからスギちゃんまで輩出する”プロジェクトGET”誕生の背景

第3部“一発屋”と呼ばれても、長生きしている芸人が多い理由