稼いだギャラで劇団員の給料を払った
32歳のとき、ラジオ『三宅裕司のヤングパラダイス』で一気に知名度を得る。テレビでも『テレビ探偵団』や『三宅裕司のいかすバンド天国』など数々の司会を手がけるようになっていき、自分のギャラから給料を出せるようになり、劇団員への約束を果たす。
こうして音楽とダンスが詰め込まれ、爆笑の連続で最後まで引っ張り、ときには深刻な社会テーマをも笑いで包み込んでしまうというSETの舞台は成長していく。今では年に1回の本公演のチケットは即、完売、東京公演だけで1万5000人を動員している。
「夢だったんですよ、プロの劇団を作るのが。いつか給料制にするのも。そこに向かって進んで、劇団のレベルが上がった結果、座長、三宅裕司に返ってきましたからね。座長がしっかりしていたから、SETはレベルの高いものを38年間もやっていられると」
で、給料制がその後どうなったかというと、
「まあ、途中でやめたんです。結局、僕がどんどん売れて、劇団員にけっこうなギャラを払えるようになったら、逆にみんな、ハングリー精神がなくなってきたので歩合制にしたんです」
しかしそれまでずっと、劇団員の給料まで稼ぎ続けた三宅がすごい。
「SETの公演もやって、おまけにもうひとつ『熱海五郎一座』も作っちゃって。そのほかにマスコミの仕事やドラマもやったしね。だから今、昔の現場マネージャーと会うと、“しかし座長、昔よくあのスケジュールでやってましたね”“お前が入れたんだろ(笑)”ってなるんですけど。やっぱり若いとできちゃうんですね」
それだけの力があったし、運にも仕事にも恵まれたのだろう。
「あと、周りの人間にも恵まれました。僕がテレビやラジオの仕事で忙しくて、ほんとに劇団やめようと思ったくらいスケジュールがいっぱいで、つらくて。でもそれを、旗揚げのメンバーが守ってくれましたよ」
三宅がほかの仕事で忙しくて演出できないぶん、フォローしてくれたりと、そういうメンバーに恵まれたから、続けられたという。