「グレートジャーニー」で人類の起源を辿る旅をした探検家・関野吉晴さんの旅は、まだまだ続いていた。町工場にも、カレーの中にすらも探検の旅があるという関野さんの破天荒人生の旅に迫る──。
◇ ◇ ◇
1本のドキュメンタリー映画がある。『カレーライスを一から作る』──。
「一からとはどういうこと?」と、まずは素朴な疑問が湧く。
2016年公開された、この一風変わったタイトルの映画は、探検家で、医師の関野吉晴(68)による武蔵野美術大学の課外ゼミの9か月間の活動を記録したもの。「一から作る」とは、米、野菜、スパイス、肉、塩から、器、箸、スプーンに至るまで、素材、種、雛、道具から作り始めるという取り組みである。
「モノの原点がどうなっているかを探していくと社会が見えてくる。カレー作りを通して学生たちにいろいろなことに気づいてもらいたかった」
と関野は言う。
案の定、思うように野菜は育たず悪戦苦闘。たった1杯のカレーのための道のりは果てしなく遠く、多くの学生が挫折。一方で、家畜に愛着が湧きすぎて、殺すべきかどうか葛藤することになる──。
◇ ◇ ◇
東京・国分寺──。その人は、小雨降る中、待ち合わせ場所のファミレスにやってきた。
普段着姿、背中には重そうなリュック。日焼けした顔に、はにかんだような笑顔が浮かぶ。このけっして屈強とは思えない小柄な人物が、世界中で数々の探検を体験してきたあの関野吉晴とはにわかには信じられなかった。
関野の名前は知らなくてもグレートジャーニーを知る人は少なくないはずだ。
人類は、およそ700万年前、アフリカに誕生したといわれている。その後、長い年月をかけ、アフリカ大陸から、ヨーロッパやアジアを経て、南北アメリカ大陸へと広がり、アフリカから最も遠い南アメリカ大陸の最南端にたどり着いたのは1万年以上前のこと。このアフリカから南米大陸に至る移動距離は5万kmに及ぶ。その気の遠くなるような人類の旅路をイギリス生まれの考古学者、ブライアン・M・フェイガンは、「グレートジャーニー」と名づけた。
関野は、このグレートジャーニーを逆ルートで辿る冒険の旅に挑んだのだ。
1993年12月5日、関野は南アメリカ大陸最南端、チリのナバリーノ島をスタート。行く先々の土地の先住民と触れ合いながら、徒歩や自転車などを自分の脚力で、カヤックなどを自分の腕力で、そして馬やトナカイ、ラクダなどその土地の動物の力を借りて、南北アメリカ大陸を北上し、アラスカを経てベーリング海峡を渡り、ユーラシア大陸を横断、ゴビ砂漠、ヒマラヤの奥地を経てアフリカ大陸へ。
そして’02年2月10日、人類最古の足跡の化石が発見された東アフリカのタンザニア・ラエトリに到着したのだ。約10年に及ぶ壮大な旅の映像は、『グレートジャーニー』シリーズとして、’95年から’02年まで8回にわたって放送され、話題を集め、関野は一躍、有名になった。
「実はグレートジャーニーは借金から始まったんです」
と関野は思いもよらないことから話し始めた。
「あの番組はテレビ局の企画に僕が出演していると思われることが多いのだけど、実際は違う。僕が企画して、最初はひとりでやろうと思っていた計画でした。けれど、やはり記録は残しておきたい。そこで、山に登れる映像カメラマンとディレクターに“ギャラはないけど売れたら払うから”と説得して始めたものなんです」。大学の探険部時代の仲間が応援団を作ったのだがみな金はない。
「そこでお金は、貿易会社をやっている先輩、弁護士や医師の友人から借りました。仲間が連帯保証人になってくれたんだけど、貸すほうにしたら“こいつらに返せるわけはないな”という感じで貸してくれました(笑)」
旅をスタートさせて約半年後、あっさりと資金が底をついてしまう。
「そこで帰国して、テレビ局を回ったのです。みな企画には理解を示すんだけど、不当に安かったり、3年ぐらいならいいけど10年もかかるんじゃやれない、などと言われました。そんな中で唯一、フジテレビだけが乗ってくれた。そのときの制作部長と編成部長が“新しいことをやりたい”と思っていたのもあったでしょうね」