3月26日の聖火リレーで「復興五輪」は幕をあけるはずだった。新型コロナ禍で、9回目になる東日本大震災追悼式は早々に中止にしたが、東京オリンピックはリレー開始が目前に迫る24日まで判断を留保し、聖火は福島県まで到着したものの「1年程度の延期」が決定した。
諸外国と比べ、日本の新型コロナウイルスの検査数は今なおケタ違いに少ない。それでも東京都では連日40人以上の感染者が確認され、東京を含む関東圏で今週末の「外出自粛要請」が相次ぐなど切迫した状況だ。五輪を延期した1年の間に感染拡大が収束するという保証はない。
「蔓延のおそれがある」としながらも学校再開の指示を出し、感染拡大による生活困窮者の増加を認めつつ、その対策に「お肉券」「旅行券」の発行を検討する。そんな唐突で場当たり的な政府与党の姿勢は、オリンピックをめぐる発言からもうかがえる。
菅官房長官は開催延期の発表後、3月25日の記者会見で、「コロナに完全勝利して五輪を迎えたい」と語った。もはや「復興五輪」を掲げたことすら忘れるつもりかもしれない。
現在、聖火が保管されている楢葉町のJヴィレッジは、原発事故後に、収束作業の中継地点として東京電力が使用していた場所だ。福島県に施設が返還されてからは、子どもたちがサッカーなどを行なっていた。しかし、聖火リレー開始予定日の3日前、東電が除染をしないまま返還したという、原発事故を起こした加害者として不誠実極まりないニュースが飛び込んできた。「復興五輪」の聖火リレーはJヴィレッジからスタートする予定だった。
そんな中での「復興五輪」を原発事故の被害者はどう見ているのだろうか。開催延期が決定する直前、被害者から話を聞いた。
「まだ避難者がいる、事故は終わっていない」
「また(福島第一原発事故の当時と)同じような状態が訪れた感じがする」と話すのは、福島県郡山市から埼玉県に避難をしている瀬川由希さん(45)だ。放射能汚染も、ウイルスも目に見えない怖さがある。由希さんは原発事故後、4人の子どもたちと避難先で暮らしてきた。夫は福島県内で教師を続けている。
「4年に1度の五輪自体は楽しみ。でも、日本での開催は今じゃないと思う」と言い、「復興五輪」には懐疑的だ。
福島には、放射能汚染を気にしている人も、自宅に戻っていない人もいる。海外の人も被ばくが気になるのではないかと思う。建築資材や人手が五輪に取られ、復興に回らなくなることも問題だ。
夫の芳伸さん(57)は「原発事故後の被ばくと同じように、新型コロナウイルスも調べませんよね」と指摘、国の対応への不信感を隠さない。
「五輪の応援に行く人は“コロナがあるからやめたほうがいいのかな”と、漠然と不安を抱えながら行くことになりますよね。これ、原発事故当時の“被ばくしているのかな”という不安と重なるんです」(芳伸さん)
由希さんが避難生活を送るにあたり、唯一の支援策だった無償の「借上住宅の提供」は2017年3月に打ち切られた。その後、家賃を払い2年間は居住できる契約を結んだが、'19年3月、退去が命じられた。しかし、子どもの生活環境を変えられない事情があった。そのため近くに引っ越し先を探したが見つからず、現在に至るまで同じ部屋に住み続けている。退去できなかった損害金として、由希さんはこれまでの家賃の2倍の額を請求されている。
理不尽な思いをし続けているのに、国や周囲の人たちは、原発事故は終わったかのように振る舞う。由希さんは、オリンピックで海外の人が日本を訪れるなら「まだ避難者がいる、事故は終わっていないと知ってほしい」と話す。
芳伸さんが言葉を継ぐ。
「原発事故もコロナも、コントロールされていないのが現実だと思います」