目次
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ー 劇場の舞台で難役に挑戦
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ー 7歳で初舞台、後継者に指名
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ー 兄と二人三脚で流派を守る
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ー エスカレーター式から別の学校へ
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ー 家元襲名は伏せて劇団に応募
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ー 拍手が鳴りやまなかった襲名公演
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ー 芸事とは無縁の友人を大切に
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ー 強く爽やかな人であってほしい

 

 東京都千代田区の『国立劇場』大劇場。1600席を前にして白拍子として軽やかに舞い、静御前として鼓を打ち、踊る―。祖母が名乗り、市川猿翁の預かりとなっていた日本舞踊の名跡『藤間紫』の三代目として、無事に襲名披露を終えた彼女には舞台やテレビで活躍する女優・藤間爽子としての顔もある。長い歴史と描く未来。伝統の継承という運命を受け入れながらしなやかに自らの道を模索する、その視線の先にあるものは―。

劇場の舞台で難役に挑戦

 屋根に打ちつける雨音と、やや遅れて響く雷鳴─。その日の空模様はぐずついており、日中から突発的な豪雨に見舞われていた。あいにくの悪天候が、寓話的な物語をよりイノセントに際立たせる。東京・下北沢の劇場『ザ・スズナリ』。木造アパートの2階部分を改装した同劇場は、多くの演劇人がその舞台に立つことを夢見る場所であり、目の肥えた演劇ファンが足しげく通う下北沢の象徴的存在でもある。

 '21年3月、藤間爽子(ふじまさわこ)は舞台『いとしの儚』で、鬼によってつくられた絶世の美女・儚という難役に挑んでいた。

 博打好きの鈴次郎は、鬼との勝負で儚を手に入れる。100日たたずに儚を抱くと、彼女は水となって消えてしまうという。儚とともに生きようと決心する鈴次郎。真の人間になりたいと願う儚。ふたりの愛がファンタジックに描かれ、儚の繊細な美しさとダイナミズムが、空間全体に広がっていた。

 20年以上にわたってたびたび上演されてきた本作は、「スーパー歌舞伎」の劇作家としても知られる横内謙介による戯曲だ。祖父である二代目市川猿翁(当時・三代目市川猿之助)とタッグを組んで仕事を重ねてきた横内の代表作に、孫の爽子がヒロインとして出演した。

 舞台のクライマックス。そんな瞬間の雨音と雷鳴。偶然がもたらした音響効果は、作品に付加価値を与えた。物語の悲恋に空も泣いたというのは、あまりに劇的な解釈だろうか……。

 新型コロナウイルスの猛威は世界を一変させた。演劇界も大打撃を受け、公演中止や延期が相次いだ。上演そのものが危ぶまれるなか、『いとしの儚』はかろうじて中止をまぬがれた。

 感染拡大によって、日常は蝕まれる。何げないことが、困難になった。映画館に行くことも、舞台を見ることも、あるいは外食や旅行に出かけることも、いちいちセーブするようになった。あらゆる行動に対して立ち止まり、いったん躊躇する習慣を私たちは身につけてしまった。

 '22年を迎えた今も、同じ課題を抱えていることに茫然とする。

 少しまばらな客席で、劇場の熱気に立ち会えたことは、記憶の中心部に今もしっかりと焼きついている。藤間爽子本人が振り返る。

「『いとしの儚』は、コロナ禍で先が見えないままの上演でした。

 子どものころ、軽井沢にある祖母の別荘にいらしていた横内さんに遊んでもらった記憶があります。そのときはもう『スーパー歌舞伎』で祖父の猿翁さんに台本を書き下ろしていましたが、子どもの私はそんなことも知らず、遊んでもらっていました。

 まさか、横内さんの作品に出演するなんて思ってもみなかったです」