母と取っ組み合い
小学生の恵子さんは、父を亡くした寂しさに加え、新たな寂しさにまで耐えなければならなかった。
会話の時間は少なくなり、相談もできず、母娘の間にはミゾができた。
中学になると、恵子さんの素行は悪くなり、中2の夏になるころには、夜遊びを繰り返し、家に帰らず、学校にも行かない。母親の突然の再婚にも、恵子さんは衝撃を受けた。
「家にいるのが嫌いだったんです。新しいお父さんがすごく嫌いでしたし、お母さんにも、大好きだった人が死んだのに、よくほかの人と再婚できるなと思ってました。
なにより結婚することを聞かされたのが、結婚する1か月前だったんです。お母さんとずっと2人で過ごしてきたのに隠し事をされて、お母さんをとられてしまうみたいですごく嫌でした」
母娘の間で決定的な衝突が起きた。素行不良の恵子さんを家に連れ戻し、取っ組み合いに。中2の冬……言いたいことをぶちまけた恵子さんに、綾子さんも本心を明かした。
「すっごい大ゲンカだったですが、その中でいままであなたを育ててきて、お父さんが死んじゃっていろいろな思いをし、涙を流す時間もなかったんだよって話してくれました。このとき初めてお母さんが私の前で涙を流したんです」
恵子さんが続ける。
「お父さんの病気についても詳しく話してくれ、初めてちゃんと理解することができました。ずっとモヤモヤしていた気持ちがすっきりして、お父さんの死を初めて悲しむことができました。母子家庭で、お母さんもずっと我慢してきてくれていたんだと気がつき反省しました」
あの冬の出来事以降、母娘は距離を縮めた。綾子さんは再婚相手と離婚した。
「お母さんとは仲よくなって、いろいろなことをいっぱい話すようになりました。学校のこと、彼氏のこと、ちゃんと話を聞いてくれて友達みたいな関係です。お父さんのことも。“私は一番大好きな人と結婚したから、あなたも一番好きな人と結婚しなさい”ってうれしそうに話すんです」
そう笑顔で話す恵子さんも、とってもうれしそうだ。
今は専門学校へ通う日々。恵子さんが医療の現場を志したのには、こんな理由が。
「私もお父さんみたいな人と結婚して幸せな家庭を築きたいです。ただ大切な人が亡くなったとき私を育ててくれたお母さんのようになりたい。子どもを私ひとりでも育てられるように、収入が安定した医療系の仕事を選びました」
その一方で、父の短命に納得できない気持ちが消えない。
「なんにも悪いことをしていないのに、なんでお父さんは死ななければいけなかったんでしょう。どうして私のお父さんだったのかな、って今もそう思うんです」
今年で父を亡くし10年を迎える。理不尽な死を胸に抱えながらも、愛情を注いでくれた母の力で、いま、娘はまっすぐに育った。