’96年、吉村さんの昇格に反対していたメンバーを抑えて、教授になる。
「数少ない曲げたくないときだった。ここは逃げなくてよかった。でも、こんな話を雑誌などにも寄稿したので、教授選や大学教授の地位を落としましたけどね(笑)」
しかし、吉村さんにとって教授になることや学長になることは真の目標ではない。
「偉くなったり金持ちになったりなんてことは、そりゃあなったらいいけど、なる必要もない。いちばん大切なことは自分のやりたい目標、夢を達成させること。それが成功だと思っています」
つまり地位や名誉も新しい発掘や発見のために役立つのなら、喜んで役立てたいというのが本意のようだ。
家庭人にはなれずラーメンで三下り半
23歳のとき、カイロ大学留学中に出会った8歳年下のエジプト人女性と結婚し、1男1女を授かるが、のちに離婚をしている。
「別れることになったのは、僕があまりにも家族をかまわなかったために、相手が不信感を募らせたからだと思います」
エジプトでは、結婚すると夫は妻や子どもをとても大事にするのがしきたりだが、吉村さんは研究と資金集めで頭の中がいっぱい。家に帰るのは1年間に20日間程度で、1回5日間ほどだったという。
「それじゃあ悪いかなと思って家族を日本に呼んで、京都や富士山へ連れて行きました。それから熱海の温泉で過ごしていたんですが、昼間、ホテル内にラーメンの表示を見つけたんです。どうしても食べたくなって、家族が寝静まった後に急いで下に行ってラーメンを食べました」
チャーシューをつまんだところで、奥さんと子どもたちの6つの目に気がついた。
「でも、ここで食べないと男じゃないと思って口にしたら、妻が激怒してタクシーで帰っちゃったんです」
吉村さんは結婚するとき、イスラム教徒になっていた。豚肉を材料とするチャーシューはイスラム教では禁忌の食べ物であり、奥さんはタブーを破った吉村さんのことを許せず、離婚に至ったというのである。
「直接的にはチャーシューの一件があったからだと思いますが、ベースには僕が家族をきちっと大切にしていなかったからだと思います。今だったらもっとうまくやるでしょうけれど、そのときは国の予算も使っているし、みんなが注目していることだったから手抜きができなかったという大義名分に僕が甘えていたんですね。反省してますよ」
家族に関心がなかったわけではないが、自分のことをわかってくれるだろうと誤解してしまった。それは無理なことだとわかったので、もう結婚はしないと決めたと話す。