強行突破で米国、デンマークに単身留学
出産は順調だったが、本当に大変だったのは生まれてからだ。料理、洗濯、掃除、子どもの世話など、日々の生活を支えてくれているのはヘルパーたちだ。実は、夏子さんがヘルパーを利用し始めたのにはキッカケがあった。
話は大学時代にさかのぼる。夏子さんは在学中にアメリカ西海岸のサクラメント大学に1年間交換留学、デンマークに3か月留学している。親には絶対反対されると思い、試験に受かってから事後報告して強行突破してしまった。
それにしても車イスの女性が外国に渡りひとりで暮らすのはどれだけ大変なのか。想像もできない。夏子さんのバイタリティーには、驚かされてばかりだ。
「アメリカは世界でいちばんハード面が整ってると思います。バスもタクシーも車イスで乗るのに困らないし、日本より生活しやすかったですよ。むしろ人種差別のほうが激しくて、競争社会だし、なんか合わないなと感じました」
次に行ったデンマークはアメリカほどハード面が整っていないが、人々が助け合って補っている。何より人を大切にする姿に感銘を受け、自然とこう思えた。
「危ない思いをしてまで自分で全部やらなくても、ヘルパーさんに頼れるところは頼ってもいいかな」
障害者にこそ子育てをすすめたい
今は朝3時間、午後は2時から9時までの7時間。合計10時間、19歳~57歳まで10人の女性ヘルパーに、交代で来てもらっている。
夏子さんは素早い動きができないので、動き回る子どものオムツ替えは難しい。危ないよと子どもを片手で抱っこして止めることもできない。料理も大鍋でたくさん作るのは難しいので、切り方まで指示をして作ってもらう。子どもが熱を出しそうなときは、ひとりでは病院に連れて行けないので、先を見通してヘルパーを確保しておく……。
いちばんつらかったのは、2人目を産んだ直後だ。2、3時間おきの授乳にオムツ替えと、ただでさえ大変な時期なのに、当時、夜勤の仕事をしていた夫の帰宅は連日、夜中の2時、3時──。
「ヘルパーさんが夜9時に帰ったあとは、私ひとりで赤ちゃんと2歳児を見ていて。何かあったらどうしよう、すぐ救急車を呼ぼうとか、ずっと気を張っていたので、ホント、大変でした」
ヘルパーは自治体や派遣会社を通じて頼むのが一般的だが、夏子さんは自分で探している。子育ても頼むため相性が大事で、信頼関係を築きたいからだ。
そのひとり、介護福祉士の佐藤沙安也さん(27)とは10年以上の付き合いだ。佐藤さんが通っていたフリースクールで大学生の夏子さんがスタッフとして働き始め、知り合った。佐藤さんが16歳でヘルパーの資格を取ると、すぐ夏子さんから声がかかった。
「昔からなっちゃんは天真爛漫で、可愛いんですよ。今も家で子どもと一緒にいると、ときには、なっちゃんが私のひざの上に乗ってきたり、わざと“沙安也がマッサージしてくれないと嫌だ~”とゴネてみたり(笑)。私のほうがずっと年下なのに、甘えん坊キャラなんですよ」
子どもたちは4歳と2歳のやんちゃ盛りだ。保育園から帰宅後は競ってママに甘える。夏子さんの母親ぶりを、佐藤さんが教えてくれた。
「例えば、子どもが何か悪いことをしても、“何でこんなことをしたの?”と時間をかけて話をきちんと聞くんです。頭ごなしに叱らず、子どもの気持ちを1回受け止めるところがすごいですよね。もちろん、毎回はできないと思いますが、そうしようと努めているのが、横で見ていてわかります」
夏子さんは「障害者にこそ子育てをすすめたい」と力説する。
「私が結婚するときは、障害者の結婚はありえないとか、子どもを産むなんてありえないとか、すごく反対されたけど、子どもって、どんな親でも必要としてくれるじゃないですか。親の障害を否定しないし。私が歩けないことも当たり前のこととして受け入れるし。ホント、おすすめですよ。ただ、2歳差は大変。それだけが計画外でした(笑)」
理由を聞いてなるほどと共感できた。同時に、実行できる人は少ないだろうとも。夏子さんほど強い人はめったにいないから。