葛西紀明
「風が当たらなければこういう結果になる」
史上最多8回の冬季五輪出場を果たしたスキージャンプ界の“レジェンド”。ソチ五輪では41歳ながら銀メダルに輝くなど、不屈の闘志を見せつけたが、風の不運にも影響されて今回は33位という結果に。初めて現地に応援に駆けつけた妻と娘のイニシャル「R」をヘルメットに刻んでいただけに、悔しさもより一層大きかった。試合後に出したコメントからも哀愁が漂う。次回こそは家族の前で歓喜の瞬間を見せつけてほしい!
小平奈緒
「私はまだあなたのことを尊敬しているよ」
悲願の金メダルを獲得した瞬間に小平が真っ先に向かったのが、五輪3連覇を逃し母国の旗を握って涙を流す李相花のところ。互いを高めあうライバルでありながら、小平が李の家に遊びにいったり、お返しに日本食を送ったりする10年来の親友でもあった。そんな李を抱きしめ、耳元でかけたのがこの言葉。2人の友情物語は日本と韓国両方のメディアから取り上げられ、「同じチームの選手が金、銀を獲得したかのよう」と称えられることに。
平野歩夢
「楽しかった。今までイチの大会だったんじゃないかな」
昨年3月のUSオープンで4回転技を繰り出した際に転倒、救急搬送され、肝臓破裂および左ひざの内側側幅靭帯を損傷するという大ケガを負った平野。5月に練習を再開したときは恐怖心から実家のジャンプ台も滑れなくなっていたという。しかし、金メダルを取るべく本番は失敗を恐れずに大技『DC14』を繰り出し、ショーン・ホワイトをギリギリまで追い詰めた。試合後に若者言葉で語ったひと言には、“乗り越えた男”の確かな重みが宿っていた
原大智
「ちょっとは有名人に近づけたかな」
初の五輪出場で今大会日本人初のメダリストとなった原は、帰国後に空港でこの発言で報道陣を和ませた。メダルから一夜明けた、彼の母校である渋谷区立広尾中では臨時の朝礼で校長が生徒に原の活躍を報告。SNSを通じて送られてきた「メダル持って行きます!」とのメッセージを紹介した。弱冠20歳、まだあどけなさの残る彼だが、帰国後すぐにトレーニングを開始した。4年後にはもっと有名人になっているはず!