そのひと言が忘れられないという。避難先の学校では、履修内容がずれて、学びそびれた授業もある。修学旅行にも行けなかった。福島県は中3、避難先では中2で計画されていたからだ。
その狭間で起きた原発避難。卒業文集を作成するとき、教師は「岡野は修学旅行にいなかったね」と、みんなの前で笑った。
原発事故をめぐっては、避難した子どもたちのいじめ被害も取りざたされた。
福島から新潟県へ避難した飯島七海さん(14)は、「逃げるごっこ」と称したいじめにあい、不登校になった。作文に「いじめられている」と書いて訴えると、先生は「B」と評価を返しただけ。
『原発避難いじめ』のニュースが盛んだったころ、飯島さんはテレビ報道をタブレットで撮影し、母親に見せて叫ぶように言った。
「ねえ、私も同じことをされている。どうして誰も私のことを言ってくれないの?」
いじめの存在を無視され、大人たちに心を閉ざしていく飯島さん。かつて活発で明るかった少女は、「戻れるんなら戻りたい」と、つぶやいた。
原発事故のことは口にできない
斎藤翔太くん(13)も避難後、いじめられるのでは、と不安な日々を過ごしたひとり。そのため、昨年入学した中学校では、福島から来たことを周囲に話していない。
「いつか地元に帰って、ひとりで山の中で暮らしたいなぁ」
自然豊かな庭で、穴を掘る遊びが大好きだった。
「悪いのは、事故を起こした人だけじゃないと思う。(みんなが)考えてこなかったのだし……」
胸の内を話しづらいのは、関西在住の土屋玲奈さん(19)も一緒。震災当時、福島県中通りの中学生だった。避難して、仕事を続ける父親と離れて暮らすことになり毎日、泣いて過ごした。