修復写真でつながる家族の絆
暗室が備えられた村林家の実家には、1枚の写真が飾られている。父・忠さんが1937年に撮影した作品『寂』である。死の淵(ふち)にあった父が遺言を告げるきっかけとなったこの作品は、村林さんの手で見事に修復されている。
暗闇の中から女性がこちらを向く写真だが、なぜか目は閉じられている。白い靄(もや)のような模様はガラスに施されたものだろうか。とても80年前に撮影されたとは思えない。モダンで幻想的でどこか悲しさも感じられる作品だ。
村林家に飾られたものはレプリカで、実際に修復されたオリジナルは、渋谷区の松濤美術館に収められている。
「修復で元の姿に戻った作品を目にした母は、“あのころのお父さんが蘇った”とボロボロ涙を流して喜んでくれました」
父の作品の修復は怖かった、と村林さんは告白する。
「研究を重ねて、ようやく自信が持てるようになっていきました。それで2000年11月にフランス・パリで父の写真展を開催したんです。それに向けて父の作品を多数修復しました。その作品50点はすべて松濤美術館に収めました。もともと写真の修復は父の遺言でしたから、目的はここで果たしたわけです。ところが、2002年に修復技術のことが雑誌で紹介されると一般の方から問い合わせをいただくようになり、これは求められている技術なんだと改めて教えられたんです」
依頼される修復の写真は、どんなものが多いのだろうか。
「圧倒的に家族の写真ですね。10年前までは、戦死した息子の写真などが多かった。最近では、高齢者の方が若かったころの写真が多いのかな。うれしいのは、画像が薄くなった祖父や祖母の写真を修復すると、それを見て“私、おばあちゃん似だったんだね”などと会話が弾み、家族の結びつきが強くなったという手紙をもらったとき。いい仕事ができてよかったと思えますね」
現在、東北大学大学院の依頼でガラス乾板の修復テストも行っている。
大正時代、中国仏教史研究家が中国大陸に渡って撮影したガラス乾板がくっついて重なっていたり、銀汚染が発生したり、ひどく汚れたりしていた。そこで重なった乾板を分離し、汚染も除去することで鮮明な画像を取り出すことに成功している。