幼い息子のため看護師に転身
「私が息子専属の看護師になる!」
そう決めたのは、幼い息子が重度のアレルギー体質だったからだ。
1987年、専修大学法学部を卒業後、法律事務所に就職。27歳で結婚退職し、翌年、長男が誕生してからは、看病に明け暮れる日々が続いた。
「ぜんそくやアトピーもあって、発作もしょっちゅうでした。そのたびに、慌てて病院に運びながら、痛感したんです。私がプロフェッショナルにならないと、この子を成人させられないと」
ところが、看護学校を卒業した3年後には、長男はすっかり回復。当時、考え方の違いから、離婚したこともあり、妙憂さんは病棟勤務の看護師として働くことを決めた。
「新人で初めて夜勤を任された日のことは、今も鮮明に覚えています。深夜、懐中電灯を片手に、患者さんのベッドを回りながら、“私が患者さんの命を預かっている!”と、すごい使命感で。天職だったんですね、この仕事が」
しかし、仕事にやりがいを感じながらも、いや、やりがいを感じていたからこそ、一方で、医療現場の体制に違和感が募っていったという。
「担当する患者さんの中には末期がんの方もいました。もう、抗がん剤治療をしても、効果はほとんど見込めないような。それでも医師は抗がん剤をすすめる。すすめられれば患者さんは、一縷(いちる)の望みを託し、つらい治療を受けます。中には、体力の限界まで治療を続け、亡くなったご遺体に、抗がん剤の点滴だけがポタポタ落ちていく……。そんな光景も見てきました」
残された時間を、自分らしく生きるために、『治療しない選択』もあるのではないか。何度も口から出かかった。
「でも、年は食っていても、ぺいぺいの看護師が、医師に意見なんかできるはずないですから─」
忙しく働くうちに、歳月は流れ、看護教員として後輩の指導を任されるころには、医療現場の矛盾すら感じなくなっていた。
そんな妙憂さんが、再びこの問題に直面したのは、看護師になって10年以上が過ぎた40代半ばのころ。
「再婚相手のがんが、再発・転移したんです」