環七ラーメン戦争――。

 東京都大田区を起点として世田谷区、杉並区、練馬区、北区、足立区、葛飾区などを経て、最終的には江戸川区に至る東京都道318号環状7号線は、通称「環七(かんなな)」「環七通り」と呼ばれる。東京23区内をグルッと走れる環状道路の一般道としては最も外側に位置し、交通量も多い。

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 そんな環七の沿道にラーメン店が多数現れ、タクシーや一般乗用車がお目当ての店を求めて走り回っていた時期がある。ピークは1980年代後半から1990年代。それをメディアは「環七ラーメン戦争」と呼んだ。

「なんでんかんでん」が復活オープン

 そんな環七ラーメン戦争を象徴したお店が、世田谷区羽根木に本店を構えていた「なんでんかんでん」である。

 1987年にオープン。福岡出身の川原ひろし社長が、まだ東京では人気がなかった豚骨ラーメンを看板メニューとして打ち出し、大人気を博した。

 大繁盛するラーメン店の店主としてメディアに引っ張りだこだった川原氏を、一躍スターダムに押し上げたのが、2001~2004年に日本テレビで放送されていた「マネーの虎」だろう。

 起業を考えている人が提案するビジネスプランの審査員で、投資家として出資役も担うレギュラー出演者の1人が川原氏だった。今の30~40代以上の読者なら、記憶している人も少なくないはずだ。

 だが、その後の2012年11月に「なんでんかんでん 東京本店」を閉店、2015年には全店を閉めた。川原氏はいったん表舞台から姿を消していた。

 その川原氏が再び脚光を浴び始めている。今年9月、杉並区高円寺で「なんでんかんでん」が復活オープンを遂げたのがきっかけだ。

 なぜ、なんでんかんでんは一度、撤退を強いられ、そして復活を遂げられたのか。川原氏の生い立ちから、なんでんかんでんの栄枯盛衰をひも解きながら、その系譜をたどっていこう。