人生も洋服も変えた孫のひと言
77歳で夫を看取ると、京子さんは抜け殻のようになってしまう─。
寝たり起きたりの生活を見かねた孫の昌俊さんは、こう声をかけた。
「おばあちゃん、勉強してみたら?」
家の購入で何度もだまされたことを知っていたので、宅建の資格を取ることをすすめた。
「落ち込んで、かなりヤバかったんですよ。もしあのままだったら、1、2年後には祖父の後を追っていたかもしれないし、ボケてしまったかもしれない。資格を取るために学校に通えば、少なくとも、その間は人間らしい生活を送れるんじゃないかと思ったんです」
戦時中に女学生だった京子さんは、授業をろくに受けられず飛行機の部品作りに動員された。孫の言葉で、もっと勉強したかったという思いが再燃。専門学校に通って猛勉強を始めた。
そして、合格率約16パーセントという宅建の試験を79歳で受験。初めてのチャレンジで見事に合格した。
苦労して得た知識を生かしたいが、高齢すぎて雇ってくれる会社などないだろう。京子さんは起業を決意した。
それまで「和田さんの奥さん」「洋子ちゃんのお母さん」「昌俊君のおばあちゃん」としか呼ばれなかったため、多くの人に自分の名前を呼んでほしくて、フルネームをそのまま社名にした。
外見もがらりと変えた。それまで洋服はもっぱら娘のお下がりを着ていたが、会社の制服がわりに選んだのは、ヴィヴィアン・ウエストウッドの服。昌俊さんから反骨精神を持ったデザイナーだと聞き共感したのだ。
つけまつげとピンク色のアイシャドー、真っ赤な口紅は、今では京子さんのトレードマークともいえる。
きっかけは孫のすすめで原宿にある美容室「Sherbets(シャーベッツ)」を訪れたこと。おしゃれな髪型が気に入り、京子さんは毎月、カットに通っている。
「ヘアスタイルはバッチリでも、顔がこれじゃあね。目だってこんなに小さいし」
あるとき、京子さんが嘆くと、ヘアスタイリストのSATOMIさん(47)が教えてくれた。
「つけまつげをすれば目が大きく見えますよ」
京子さんがテレビに出るようになってからは、撮影前にSATOMIさんがメイクも担当している。いつも京子さんのタフさには感心しているそうだ。
「和田さんは私の倍くらいの年齢ですけど、すごくバイタリティーがあって元気ですよね。気力が違うんですかね、やっぱり。すごいロングのブーツをはいてきたり、派手なファッションもされますが、似合っているし、洋服に負けてないなと思います。ただ、普段お忙しいので、カラー剤を塗って待たれている間など、頭が倒れるくらい深く寝入っていますよ」