しかし、とうとう夫が業を煮やして怒るようになっていた。そのキレ方が怖くて、彼女は自室から出られなくなっていく。怒鳴り声を聞くと身体が固まってしまうのだ。
「無職なうえに何もできない。自分がいけないんだ。ずっとそうやって自分を責めていました。夫の怒りの矛先(ほこさき)が娘に向いたのか、ドアの向こうで娘を怒鳴る声が聞こえる。その声が私の身体に突き刺さる。私が怒られているんだと思い込む。認知が歪(ゆが)んでいたんですね。被害妄想がうつ状態をどんどん悪化させていきました。何もできない自分が後ろめたくてたまらなかった」
夫にも娘にも別れを告げられて……
どうしたら夫の怒鳴り声が止まるんだろう。そればかり考えていた。一方で夫も限界を感じていたのだろう。娘の小学校卒業式の帰り、3人で入ったファミレスで夫から離婚を切り出された。彼女は承諾し、大学院も休学した。
夫は自分の両親の家に暮らし、彼女と娘は今までどおりの家に住んでいた。シングルマザーになったことで若干の公的費用が出た。夫から養育費ももらった。
「ただ、相変わらず私は家事ができないし具合が悪い。なかなか働けないんです。娘はパパっ子だったので自由に会っていました。元夫は娘に会いに頻繁に来るんですが、会いたくない私はひきこもるしかなかった。それでも中学がお弁当だったので頑張って作っていたんですけどね」
そのうち娘がお弁当は自分で作ると言い出した。学校が終わると夫の実家で食事をして入浴し、家には寝に帰るだけ。彼女はそれでも自分に鞭(むち)打って就職活動をした。やっと仕事が決まっても、対人関係がうまくいかず数か月ともたない。もうひとつ、彼女には常に心に重いものを抱えていた。実母との関係である。
「私が離婚したと電話で報告したら、両親がいきなりやってきて私と娘を連れ帰ろうとして大騒ぎしたんです。隣近所にまで離婚したことを騒ぎ立てて。あの一件はどうしても許せない。過干渉にも度がある。だから私はなんとしても自力で頑張りたかった」
しかし気持ちだけが空回りしていく。そして娘が中学2年生になった秋、とうとう「パパと暮らしたい」と言われた。がっくりと全身の力が抜けたが、娘の気持ちは尊重したかった。そこで彼女はひとり夜逃げのように家を出た。