中学生で夢中になった「妄想日記」
のちに作家となるあつこだが、本の魅力に目覚めるのは意外と遅かった。
「3つ上の姉は生まれたときから身体が弱く、本ばかり読んでいました。“本では姉にかなわない”という対抗意識も手伝って、小学生のときは、マンガばかり読んでいました。マンガ家になりたいなんて夢を抱いたこともありましたよ」
しかし中学校に入学したころ、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズに出会い、本の虜(とりこ)になる。
「最初に『バスカヴィル家の犬』を読んだときの衝撃は忘れられません。こんな面白い世界があると知り、アガサ・クリスティー、エラリー・クイーンの全作品を読みました。教師をしている母は本を読むことには理解があり、当時、地元にあった2軒の本屋さんにも足繁く通いました」
さらに、家にあった岩波の『世界少年少女文学全集』も読破。人の心を震わせる作品の数々に触れ、いつしか読み手でなく書き手になりたいという思いが、芽生えていた。
「中学に入り日記をつけ始めたんですが、実はこれがフィクションの妄想日記。現実はさておき、素敵な恋に落ちてしまうような架空のお話を書くうちに、新しい自分が発見できる。そんな喜びに快感を覚えて、卒業するころにはハッキリ物書きになりたいという思いを抱いていました」
地元の岡山県立林野高校に進学したあつこは、高校2年のとき、初めて30枚ほどの小説を書き上げる。タイトルは『マグナード氏の妻』。
愛する妻を失った男が妻の死を受け入れられずにいると、妻の墓前で妻と同じ瞳の色の黒猫と出会う物語。男はこの黒猫が妻の生まれ変わりだと信じて一緒に暮らし始めるという外国を舞台にしたミステリー風の小説である。
「国語の授業の課題で提出したところ、先生が“面白かった”と赤字でびっしり感想を書き添えてくれました。初めて認められた、書きたいという気持ちを大切にしていいんだ、そう思ったことをよく覚えています。今読み返すと稚拙で赤面してしまう。でもあのころの自分にしか書けなかったもの。感慨深いですね」
しかしこの思いは、周りの誰にも話さなかった。自分の夢を語り、笑われることが、当時は怖かったのだという。
高校を卒業したあつこは、青山学院大学の文学部に合格。作家になるなら東京に行かなくては。そんな思いを胸に、東京駅に降り立った。