時代小説への熱い思い

 あつこには、作家になる夢をあきらめきれなかった時期に出会った、忘れられない1冊がある。それが藤沢周平の『橋ものがたり』。

「地元の商店街の書店でやっていた“時代小説フェア”で何げなく手に取った、橋を舞台にした短編集。ヒーローを描かず、名もない市井の人を描く藤沢さんの作品の魅力に惹かれ、いずれ私も時代小説を書いてみたい。そんな思いを抱いていました」

 作家デビューを果たし、青春小説を執筆する傍ら、機会あるごとに古書店から資料を取り寄せ、江戸と東京を重ね合わせる地図と首っ引きになりながら、時代小説『弥勒の月』を書き始めた。

 同作は小間物問屋の若女将の水死体が発見されたことに端を発し、北町奉行所の同心と岡っ引き、そして若女将の夫が殺しの真相に迫る物語。

「『バッテリー』で少年2人の関係を書き進める一方で、大人の男たちの関係を描きたいという思いもありました。人間には闇もあれば光の当たるところもあり、ものすごく複雑で大きな物語だから、簡単にとらえられない。見つけるまで書くしかありません

 編集を担当した『光文社』文芸図書編集部の吉田由香さんは、作品の魅力をこう語る。

「濃密な江戸の闇、張り詰めた空気感にまず驚きました。今までにないダークな“裏あさの”の魅力。女性には理解しがたい大人の男たちの存在、関係性が描かれ、新鮮でした」

 平成18年に単行本が発売されるや『弥勒の月』は大きな反響を呼び、サイン会では今までのあさのファンのみならず、時代小説好きの年配の男性まで長蛇の列をなした。

 現在8冊まで刊行された『弥勒シリーズ』。取材の仕方が一風変わっている。

「江戸時代の風情が今も残る角館や萩・津和野を訪ねるのが恒例となっています。でも写真やメモは一切とられません。角館を訪れたときは武家屋敷に入り暗闇の中で1時間、目をこらしイメージを膨らませていらっしゃいました。するとシーンが降りてくるそうです。そこから先はキャラクターが勝手に動くのであらすじはあえて決めない。これがあさの流です」(前出・吉田さん)

 また行燈(あんどん)を夫に作ってもらい家の中で闇を感じる、日本刀を実際に持ってみるなど、憑依(ひょうい)型ともいえる作品作りには、独自の工夫が凝らされている。