現在、常時300頭の猫が当団体に保護・飼育され、譲渡数は年間700頭にのぼる。
保護猫はすべて不妊去勢手術が施され、駆虫・3種混合ワクチン、白血病ウイルスチェック(4か月齢以上)などがすんだ猫たちだ。
保護猫を受け入れるルートは2つ。
大部分は動物愛護相談センターからで、もうひとつは民間からである。
「一般の方が今日拾っちゃったとか、困っていた地域猫をどうにかしたいと訪ねてくることもあります。全部は受けられないのですが、5年目くらいから譲渡のスピードが速い子猫でしたら無償で引き受けるようになりました。本当は全部と言いたいんですけど、シェルターがキャパオーバーにならないように、慎重に活動しています」
動物への感情を封印
山本さんは、東京・足立区西新井の団地で生まれ育った。両親はともに教師をしていた。
「父母がその団地に入居した第1号でした。団地ブームのころで、団地に住むことがちょっとだけ誇らしかった時代ですね」
団地ゆえ当然ペットの飼育などできるわけもない。
「当時、団地の近所にボロボロに崩れた廃屋があって、そこに捨てられた大きくて綺麗なコリーがいたんです。おまけに身籠っていました。まだ小学校5年生だった私と近所の同級生たちは、生まれた子犬をその空き家にかくまって毎日交代で世話したんです。
こっそり残飯を持って行ったり、近所のパン屋さんからパンの耳をもらってあげたり。そうやって隠れて世話してたんだけど、小学生だから、その後どうしようなんて、考えていないわけです」
当時は、狂犬病予防法が全盛のころだ。
ある日、子犬に餌をあげていると突然トラックがやってきた。野犬狩りである。
山本さんたちの目の前で、子犬たちは1匹残らずトラックに放り込まれてしまった。
「私たちは機転をきかして親犬を逃したんだけど、きっとすぐに捕まってしまったでしょうね。ショックでした。あのとき、私は動物への感情を封印したように思います」
山本さんは、地元の中学を卒業すると上野学園高校に入学。さらに音大で知られる上野学園大学に合格した。
ところが大学2年でドロップアウトしてしまう。