実は彼の父親は地元種子島で有名な『熊毛文学会』という同人誌に短歌や詩を発表していた。その会を幼い濱田はよく覗き見したという。
濱田が2歳のころ、復員してきた父は一杯飲み屋を経営。仕事のない人たちのために港湾労働者組合を作って組合長となり、人望も厚かった。冬の寒い日、訪ねてきた友人に自分の一張羅のコートをあげてしまった父の姿を濱田は強烈に覚えている。
いま思えば、人のために頑張り、自ら詩を書いて文学にいそしむのは、父がたどった道でもある。最近になって濱田はそう気づいたという。
今の濱田の1日は、午前3時半に起きるところから始まる。自宅は100年もたつ馬小屋を改装したもので、作業所の2階にある。1時間半ほど瞑想をしながら「詩の神様」が降りてくるのを待つ。イベントの構想を練るのも仕事だ。4月21日には多目的スペースで熊本地震から3年目の『復幸祭』が行われる。
NPO法人のラーメン店では、今は孫の志佐幹さん(22)が店長として腕をふるっている。
「おじいちゃんは絶対に怒らない人。中学のとき、けっこうやんちゃしてたんですが、怒られたことがない。何でも許してくれる。炊き出しには中学生のころから参加していましたが、やるとなったらすぐ行動に移すおじいちゃんはカッコよかったし、すごいと思っていました」
孫の作るラーメンに濱田は口を出さない。誰かに任せたらいっさい口を挟まずに信じて任せるのも彼のやり方だ。
身勝手だけど尊敬できる父親
厨房長の大野幸代さん(54)は、このNPO法人で働くようになって10年以上たつ。
「福祉作業所で障害者の子たちとパンやクッキーを作ったり販売したりしていましたが、熊本地震の前に夫を亡くして1度、退職したんです。地震で大規模半壊した家をようやく修復できたとき、代表(濱田)から“戻ってきてくれない?”と連絡がありました。
ここは私の職場であると同時に居場所。私は濱田家の家族ではないけど、家族同様の付き合いをしてもらっています。ただ、ボランティアに行く日程を勝手に決めるのはやめてほしい。きちんと予定を確認してくださいと口を酸っぱくして言っています(笑)」