うちのミルクで作れるね
「結婚のなれそめですか」
牛のことなら、ひと晩中でも話す勢いなのに、この手の話題になると、とたんに口数が少なくなる。
「結婚したのは、当時としては遅くて36歳です。周りからは、“あいつ、牛と結婚するんじゃないか”って本気で心配されたほどです(笑)」
牛一筋の磯沼さんを見かねた知り合いが、見合いをお膳立て。5つ年下の女性と、結婚の運びとなった。
「まあ、なんと言うか、(妻は)クッキーやケーキを焼くのが趣味だって言うんで、だったらうちのミルクで作れるねってことでね。まあ、大した話なんてないですよ」
結婚の2年後には長女、その2年後には次女を授かり、子どもにも恵まれた。
文字どおり、一家の大黒柱となった磯沼さんは、このころから牧場の将来について、「現状維持から抜け出す」ことを考え始めたという。
「これだけコストをかけ、おいしいミルクを出荷しても、乳価は一律です。当然、利益も薄い。経営はなんとか成り立っても、これでは未来に希望が持てない。新しいことを始める時期が来たなと」
折しも、平成6年、東京都では市街化区域内農業の活性化を推奨。一部、助成金も見込めたことから、磯沼さんは1800万円もの借金をして、ヨーグルト工房を作ることを決めた。
「おいしいミルクでヨーグルトを作って、自主ブランドを立ち上げようと。父は、“儲かる仕事じゃないんだから、そんなに借金して大丈夫か?”と心配しましたが、最高のミルクで、最高のヨーグルトを作れば、必ず需要はあると、説得しました」
以来、牧場の一角に、名づけて『世界で一番小さなヨーグルト工房』を作り、商品開発に打ち込んだ。
ヨーグルト作りは、生乳の種類と乳酸菌の配合が命。
ジャージー、ホルスタイン、ブラウンスイス、それぞれの牛のミルクと、数十種類に及ぶ乳酸菌をひとつひとつ組み合わせて試作するという、気の遠くなる作業を毎日続けた。
次女の磯沼杏さん(26)が話す。
「私は当時、赤ちゃんだったので、父の奮闘ぶりは記憶にありません。ただ、実家には膨大な量の牛と食に関する書物があって、父が本を読み漁りながら必死で研究したことは容易に想像できます。子育てなんてそっちのけで、没頭していたはずです」
こうして、1年余りの歳月をかけ、完成したのは、日本で唯一どの牛のミルクで作られたのかわかる『かあさん牛の名前入りプレミアムヨーグルト』。ジャージー牛の中でも、もっともおいしいミルクを出す1頭から作った究極のヨーグルトだった。
その味わいは、クリームチーズのような濃厚なコクと、自然の甘みが溶け合う、まさに極上のおいしさ。
「味だけじゃなく、乳酸菌も一般的なヨーグルトの10倍含まれているので、身体にもいいんですよ」
味と品質には絶対の自信があった。