それまでは落語をやったこともなければ、見たこともなかった。だが初めて見るそれに、大きな驚きを感じた。
「だって、みんな笑っているんだもの。なんで笑っているんだろう、って。そりゃ、面白いことを言っているのは確かだけど、面白いことを言う人っていっぱいいるでしょ? それなのに、こんなに大勢の人がわざわざ500円(当時の木戸銭)のお金を払って笑いに来ている。“笑いってすごいな”って。それで私もやってみるかなあって。最初はできるかなぁ、できたらうれしいけどという気持ちでした」
横浜市職員落語愛好会への入会にあたっては、その後1年間、考え続けたと語る。
落語の世界へ!
「途中でやめちゃったらさ、自分も嫌だし、会の人たちにも迷惑をかけるでしょ?」
1年後の平成9(1997)年、54歳で横浜市職員落語愛好会に入門した。
「よろしくお願いいたします。脳腫瘍をやりましたけれど、頑張りたいと思います」
そんな挨拶をすると、みんな快く受け入れてくれた。
同会の演出担当にして最長老の空巣家小どろさん(68)と相談のうえ選んだ高座名が、『九色亭おたま』。
小どろさんが言う。
「定かには覚えてないけど、給食をやっていたから“おたま”でいいんじゃないか、と。本人もそう希望したと思うよ」
かくして九色亭おたまの落語人生が始まった。
まずは同好会のみんなの前で座布団敷いて、小噺の練習から。“隣の空き地に塀ができたよ”“へー!”
「みんなが聞いているなかで、そんなふうにひとりずつやるんです。だって長い落語なんてまだ覚える時間もないわけだから」
とはいえ続けるうちに欲が出てくる。
「年もいっているからね、女性ものをやりたいんですよ。でも落語には女性ものって少ないの。その中からプロの落語家のテープを聴いてみたりして、一生懸命、女性がやれるものを探すんです」
初めて選んだ長編落語は、
『紙入れ』。
取材当日、われわれ取材陣の前で演じてくれたのも、この演目だ。自宅リビングにテーブルとイスをセットして毛氈(もうせん)を敷く。テーブルとイスの高さがぴったりなので、あたかも舞台上で座布団に正座しているように見える。